65歳の日溜まり (*´・ω・)ノ。゜・☆。

貧乏な独り暮らしで、時々、無性に寂しくなりますが、ふと思ったことを書きます………来てくれて、ありがとう。

若い頃をふりかえって

 おはようございます。

 いつもなにを書こうかって迷ってしまいます。独りで、歳だし、特別の出来事とか起こらない。日々は、静かに流れて過ぎていく感じです。

 

 若いときは焦ってましたけれど。

 なんか目的を持って、それを仕上げなきゃと思っていました。いま考えると、手に余る理想的なことを目指していたようです。

 世間並みに、〈成功した〉みたいな結果になればいいな、と思っていたのですが………

 まあ、そういうことは、普通に考えることですよね。

 世間に置いてけぼりにされるのが怖いという気持ちがあった。

 やはり、世間を気にしていたのです。

 若いときの基準って、自分以外の社会、という気がします。

 

 それが中年と呼ばれる頃には、「人生、もう、どうしようもないな」と、良くなる希望が持てなくなって、覚悟を決めた、というのがあります。

 運もあったでしょうし、自分の努力が足りなくて、仕事に恵まれなかったということでしょう。

 そういうことは、相手があることで、自分の希望とかの願い通りにならない。

 

 そういうことがわかったので、だんだん現実に期待しなくなった………というか、酒に逃げたし、どう考えても八方塞がりのような状態だし、自暴自棄的な気持ちでしかなかったのです。

 

 仏教は、若い頃から本を読んでおおよそ理解していたけれど、知識と現実とは違うので、現実にはあてはまらない。宗教的なことを現実でいかしていくには、それに合った宗教団体に入っていくか、宗派が運営する学校やそれに類するところで勉強や修行をして、僧とか牧師になるしかない。もう、ぼくには手遅れだった。

 

 それで、普通の人には、勧誘されて宗教団体に入るぐらいにしか入り口は開かれていない。

 問題は────変な新興宗教の勧誘にひっかかると、心の安定どころか、被害を受ける側にされることです。

「外国に行ったら、声をかけてくる者には注意しなければだめ」といいます………わざわざ声をかけてくるというのは、裏に隠された目的があるから………といわれるのは、本当だと思います。宗教といえど、現世の団体なので、営利とか運営の問題を抱えているものでしょう。勧誘もしなければならない。そうしないと団体を維持できない。

 

 そんなふうに思っていたので、宗教に関わることは、自分のなかでは………〈無し〉だったのです。

 まあ、ぼくのような貧乏人は、相手にもしてくれないと思いますが………

 

 じっさい、35歳の時に、人生に疲れて悩んで、キリスト教会に相談に行ったことがあります………牧師さんが話を聞いてくれたんだけれど、最終的にはひどく怒られ、叱られました。なんか、どっちつかずな、相手にする価値もない人間だと思われたんでしょう。

 その時「救われる人も………牧師に選ばれるんだ」と思ったので、キリスト教会への夢はなくなった、と思ったのです。これはぼくの特殊な体験かもしれませんが………

 

 それからはひとりで解決しようと思ったのです。図書館に行くと、人生訓の本とかの分類があるので、一人で心の鬱積を解決できるような考え方を求めて、本を読みふけっていました。いろんな考え方があるのはわかったけれど、現実の仕事のしんどさは消えなかった。いまでは、「当たり前だろう」って笑うことが出来ますが………

 

 宗教は気にはなっていたけれど、なにかの信者になる気持ちはなかった。

 そんなときにオウム真理教の事件が起きたので、宗教の怖さというか、自分を失くす怖さを再確認したのです。

 

 自分を失くすということでは、アルコールに依存することも同じです。

 長い間、断酒を繰り返しては、挫折していたけれど、歳をとっていまは断酒できています。(このあいだは飲んだんだけれど………)それでも全体では断酒している………ので、歳をとるのもいいと思えるようになりました。

 

………………       ………………       ………………

 

 じつは今日はこの本を紹介するつもりだった。

 

 西洋文明を批判する視点で書かれた本です。

 レビューに、読んだ人が書いていること、納得できます。ぼくもそんな感想を持ちましたから。

 だいぶ前に本を整理した時に………処分したけれど………

 一時は、本棚にこの本があるのを見るだけで、なにか心が癒やされたのです。

 

 

………………       ………………       ………………

 

 なんか焦点の合わない話をしてしまって、ごめんなさい。

 

 読んでくださって、ありがとうございました。

 また、明日。