65歳の日溜まり (*´・ω・)ノ。゜・☆。

貧乏な独り暮らしで、時々、無性に寂しくなりますが、ふと思ったことを書きます………来てくれて、ありがとう。

歴史観という教育

 おはようございます。

 気温は低くて寒いのですが、晴れて気持ちのいい朝です。こういう日は、なんだかいいことがありそうな気がして………独り暮らしの自分にはたぶんない、でしょうが (^_^;)

 

 昨日は………


という動画を見ていました。

 小林よしのりさんの「戦争論」の動画なのですが、自分の考えと同じなので賛同します。

 

 歴史をどう捉えるかということ────

 歴史観にはいろいろあって、人それぞれといえるので、何が絶対に正しいということはいえないと思いますが、記録された事実を見れば、大筋の歴史とか、これはこういうことだろうという共通の認識は持てるだろうと思います。

 

 この動画でいっている「白人の植民地支配」があったことは事実です。どう捉えるかが、それぞれ違う。

 残虐な殺戮があったことも事実です。それが正当化できるか、ですが、こういう事実の歴史を辿って行くと、白人支配を正しいとする気持ちにはなれません。

 

 当然、先の太平洋戦争の評価についても、戦後流布され、教育で教えられてきたものと違う見方になります。

 戦前の日本が唱えた、「白人の植民地支配からのアジア解放としての大東亜共栄圏」という考え方は正しかったのではないか、という提起がなされます。論理だけを取り出してみれば、アジア解放は正しい思想だったと思います。

 

 しかし、それは建前でもある。

 その影には、ロシアの南下への恐怖や、中国への権益の確保があったと思います。ようするに利権とか、政治的陰謀とか、他国を支配することの欲望とかが………あった。政治は一筋縄でいかない。単純ではない。

 

 すでに先の戦争では敗けてしまい、その結果としての「現在」があるわけですから、それを踏まえて、どうするかという反省を持たなければならないと思います。

 

 戦争も、近代、現代では法で収束することになっています。

 そのために戦争終結のための条約が結ばれるのだし、戦争当事国間の倍賞交渉も行われる。日本はサンフランシスコ講和条約で占領から脱し、主権を回復しました。

 後に韓国、中国とも平和条約を結んでいるので、建前としては、戦後処理は終わっているはずです。

 

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 現在、韓国や中国からは「日本は侵略した、支配した、虐殺者だ」と批判され続けているわけですが、それらの根拠となる事実が客観的に証明されていないので、違和感を感じざるをえません。

 中国がいう南京大虐殺というのは妄想に近いでしょう。当時の南京市の人口が20万なのに30万も殺せない………し、南京大虐殺紀念館に飾ってある写真は捏造、加工されたものだという指摘もあります。

 韓国がいう従軍慰安婦という存在もなかった慰安婦と呼ばれる売春婦はいたが、多くは日本人で、朝鮮半島出身の者は2000人ぐらいしかいなかったらしいし、拉致や強制されて連れて来られたのではない。韓国は、20万もの女性が拉致されたというが、なんの証拠もない。妄想なんです。

 

 事実があったから日本を批判しているわけではないでしょう。日本を叩き、弱らせることが、日本を支配することになる国益だからでしょう。

 

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 国と国との外交とか交渉とかは、裏のあることで、一筋縄でいかない。単純ではないし、純粋なものではない。国益や利権のためなら、真実は投げ捨てられる。庶民の世界とは別物なんです。

 

 歴史のことは………基本的に、その現場にいたものしか真実はわからない。

 歴史を知るとは、残った記録を検証して、なるべく真実に迫ろうという努力の行為でしょう。客観的に記録を検証することで共通の認識になると思う。誰かの仮説や、思い込みや、妄想が歴史になるわけではない。

 

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 現実に、建前と本音があるように………

 歴史観にも、建前の歴史とか、妄想の歴史とか、あるだろう。現実問題として、それはわかります。

 

 歴史観や国家観は────多くは、子供の頃の教育によって埋め込まれる。洗脳されるといってもいい。

 日本では、ずっと、戦後教育を通じて、自虐的な日本人像や、日本は悪いことをしたという罪悪感を植え付けられてきました。

 そして、日本に土下座を要求し続ける韓国、中国。反日教育をしている国なので、それを教えこまれた子どもたちは、日本にいい印象を持つわけがありません。そういう教育を受けた者は将来も反日活動を続けるでしょう。

 

 いずれも、国がしていることです。

 すでにある言説を信じるか、信じないかのように、無批判に受け入れるのではなく、自分で考え、自分で検証する────たとえそれが専門家のように具体的にはできなくても────気持ちが大事だと思うのです。

 

 こういう世論が二分されるようなテーマを語るのは難しいです。すぐに、正しいか、正しくないか、是か非かになってしまうからです。また、考え方が左翼か右翼かに分けられてしまう。政治的に利用される。政治になることはつまらないことです。

 

 一庶民には、なにが歴史なのかは、よくわからない。

 真実は、自分が見つけたところにしかないし、自分が確かめ、信じるところにしかない、と思うのです。