65歳の日溜まり (*´・ω・)ノ。゜・☆。

貧乏な独り暮らしで、時々、無性に寂しくなりますが、ふと思ったことを書きます………来てくれて、ありがとう。

過激なのはいらない

 おはようございます。

 雨雲が空を覆っていて、通りを中学生たちが傘を持って通学しています。昨日より気温は高いらしいですが、体の芯が冷えます。

 

 この空の下、ずっと向こう………いろんな人がいて、いろんな生があって………様々な事情で暮らしていて………と思うと、限りがない。

 人種、民族、文化とか、違うけれど────人間としてある以上はみんな同じだと思う。

 殺しあったり、憎しみ合ったりすることはない。

 

 正義ということについては、この世界でどちらか一方が正しくて、他が間違っている、なんてないと思う。それは正義ではないでしょう。

 いろんな人が世界を分けあっているから────自分の利益にしたい、自分優先にしたいから────「こちらが正しい」という発想になるんだと思う。あいてをねじ伏せるために。支配するためです。

 

 力や暴力が正義ならば、人間が作り上げてきた文化なんて意味が無い、と思うのです。

 

 人が動物として持っている暴力性や、生き残るための自分優先志向、エゴイズムを………超えるために文化を作ってきたと思うのです。他人と協働して生きるために。他人と共に生きるために。

 

 現実の、矛盾に満ちた………悲惨な生活に押し込まれた苦しい世界では、暴力が噴出するのも、わかります。理解できるけれど、肯定はしません……… 

 世界は完全ではなく、抑圧と暴力に満ちているし、政治家はそれを救う政策を実行しない、建前だけをいう。人が生きている世界は、そういうものだと思う。

 だから、テロリズムが生まれる。建前が破れた隙間から。

 理想とか完全とか、建前を超える次の「建前」として………

 

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 ぼく自身は、理念とか理想とかは、信用しません。

 

 ただ単純に、人が生きるために、すこし余裕がある食糧と、清潔で安全な環境と、穏やかな人間関係が保障されたらいい、と思うのです。

 

 イスラム国がやっている「恐怖で支配する」のは、狂信者が宗教の形を利用しているのだと思っています。イスラム教ではないと強く思います。

 マスコミは、「イスラムvs十字軍」と対立的にセンセーショナルに取り上げたがるので、必ず、イスラム教への偏見が生まれます。

 

 聖書を読んでいる方はけっこう多いと思いますが、(ぼくも若い頃、読んで、教会に通ったこともあります)………

 クルアーン(コーラン)を読んだ人は少ないと思います。

 図書館で────読まなくて見るだけでもいいと思います。知らないよりは、親しく感じるので………

 ぼくらはヒンズー教も、道教も、アフリカの宗教も、ポリネシアの信仰も、レゲエのジャーも、詳しく知らないじゃないですか。それでも、なんとなく受け入れている。イスラムも、そうでありたいと思います。詳しく知るのはたいへんなので、受け入れるだけでいいと思うのです。