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65歳の日溜まり (*´・ω・)ノ。゜・☆。

貧乏な独り暮らしで、時々、無性に寂しくなりますが、ふと思ったことを書きます………来てくれて、ありがとう。

「日本仏教史 裏のウラ」を読んだ

 おはようございます。

 いま、7時です。今朝は診察に行く予定があるので、早めにブログを書こうとしています。

 

 昨日は、この本を読みました。

 

島田裕巳の日本仏教史裏のウラ

島田裕巳の日本仏教史裏のウラ

 

 

 おもしろかった。

 

 目次を書きます。

1章 日本の仏教をどう見るか

2章 空海最澄はどっちが偉いのか

3章 浄土教信仰はどのように広まったのか

4章 親鸞の幻像と日蓮の実像

5章 厳しい禅の道場から葬式仏教が生まれた不思議

6章 仏教は新宗教とどう関係するか

 

 1章で………

 宗教という考え方は明治以降に入ってきた。ヨーロッパでは18~19世紀にかけて「東洋学」という学問が生まれて、そこで、宗教としての仏教が「発見」されたといえる。それまでは仏道であり仏法。

 

 日本はずっと神仏習合でやって来た。明治になって廃仏毀釈の政策が行われるまでは。

 

 日本人に問うと、自分は無宗教だと答える人が多いのは………神にも仏にも祈り、拝むので、どっちかわからない、曖昧なままだから………神や仏を信じないというのとは違う。

 

 2013年に伊勢神宮遷宮が行われたわけですが………ずっと、20年毎に絶えることなく続いてきたという印象がある。それは間違い。応仁の乱から1400年は行われてこなかった。

 こういうことが書かれているのが、おもしろかった。

 著者は「伝統を疑え」という。宗教学者の鋭い指摘だと思う。

 

 あと、聖徳太子は生きている時は「聖徳太子」と呼ばれていなかった………聖徳太子が書いたといわれている「三経義疏」(さんきょうぎしょ)もたぶん後世の人の作だと推測されるということです。

 

 宗教は、伝説を作ったり、神格化とかするものだと………

 

 そういうことで2章の………

 空海は「私度僧」みたいなことがいわれているが、ほんとうは、桓武天皇の強力な後押しというか、援助によって遣唐使として活躍できた、ということが書かれています。サブタイトルの〈空海のバックには天皇がいた!〉P51~P57

「恵果大徳行状」という中国の書に、天皇からの手紙や大金も持っていたと書かれてあるそうです。そうでなければ、仏典とか持って帰ることはできませんよね。

 

 空海は伝説もあり、謎めいた人物だとか………

 

 

 

 そして4章に書かれている親鸞も同じく、謎ばかりだとか………歴史的な資料が多くないのです。

● 越後は、当時、流罪の地ではなかった。

● なぜ、60代で恵信尼と離れ、ひとりで京に帰ったのか?

● 「教行信証」はほとんど引用ばかり。

 

 明治時代には親鸞不在説が唱えられたほどだった………

 

 ………………       ………………       ………………

 

 そういう、人物に焦点を当てたおもしろさもあるのですが、5章の「厳しい禅の道場から葬式仏教が………」に、なるほどと思ったのです。

 

 道元は「正法眼蔵」を書き、曹洞宗を作り上げた人物ですが………修行第一なのです。僧侶は出家しているので、経済活動はしないわけですが、それではいくら粗食とはいえ、食べなければ死んでしまいます。

 そこに瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)という人が現れます。この人は、密教的な儀礼を取り入れて、祈禱の儀式を開拓して経済的に寺が維持できるようにしたのです。そこで葬式が仏教と結びついたのです。

 

 どんな人も、生きていなくては、なんにもなりません。

 高邁な理念とかあっても、最低の経済活動というか、生きるためのなんらかの手段をとらなくてはならないのですね。

 それが本質をついていて、おもしろかったのです。

 

 そういうことで、この本を楽しく読みました。仏教のことも詳しくわかります。軽く読めて深い。いいなと思ったのです。