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65歳の日溜まり (*´・ω・)ノ。゜・☆。

貧乏な独り暮らしで、時々、無性に寂しくなりますが、ふと思ったことを書きます………来てくれて、ありがとう。

全体的になる怖さ……

 おはようございます。

 



 もう文章のテーマとして取り上げるのは遅いでしょうが、この11日にフランス全土で行われた「テロを許さない集会」に、すこし違和感を覚えているので、それを書きたいのです。

 

  • 素直にいって、リンク先のコメント欄にある岩井さんの意見に賛成です。
  • 事件のきっかけとなった風刺画を見ました。描かれた者を、馬鹿にしている、あるいは侮蔑しているように感じました。風刺というのは、弱者の立場や視点から強いものや理不尽を笑い飛ばすものではないのか。これでは、マイノリティの強者が立場の違うものを攻撃しているプロパガンダの絵にしか見えません。
  • キリスト教も風刺しているからいいだろう、イスラムを風刺しても────ということにはならないと思います。風刺という言葉で行う侮蔑だからです。

 

 テロを許さない、ことはもちろんです。

 

 人を殺してはダメでしょう。

 

 しかし、上のリンク先のような、社会的に、全体がそっちに流れる風潮があることも事実じゃないかと思ったりします。

 たしかに9.11の時のように、これから、対イスラムへの縛りがきつくなるでしょう。権力側にとっては、対テロ戦争の正当性を声高に叫ぶことができます。

 

 遠くの日本で記事を読んで判断するだけでは、現実の具体的なことがわかりません。

 イスラム教への差別はあるようです。

 移民政策の失敗もあるでしょう。

 かっての帝国主義的な植民地支配の結果が、こういう形で、現実に噴き出しているともいえます。

 

 原因は多くあります。

 どちらが正義、などとは判断できません。

 

 これは日本人だからそんなのんびりしたことがいえるのか………

 現実はせっぱつまっている………こういうテロが起こる状態になっている。

 

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 それでも人が殺されたり、理不尽なことで悲惨な目に合わされるのはだめだと思います。

 テロも対テロ戦争も、そういう結果になる。

 

 フランスで多くのひとが「テロを許さない」という声を上げることは、いいことですが………モスクを襲撃したり、イスラム教を信仰する人に対して、偏見に基づいた取り扱いをするきっかけになるのは許されないと思うのです。

 

「私はアシュリー」というスローガンの意味を考えたい、と思うのです。それは、自分たちがテロの標的になるという恐怖を表したものといえます。じっさいは、なにもしなければテロの対象になることはないと思うのです。私達は風刺画を書く側に立つ、といっているようにしか思えないのです。

 

 多くの人が、イスラムからの攻撃、テロに対して、「自由を守れ」というスローガンのもとに集まりました。(耳障りのいいスローガンは危険です)

 

 

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 こういう敵対的な構図として捉えることが、間違いなのか………ぼくのように遠くから眺めているものにはわからないのですが………