65歳の日溜まり (*´・ω・)ノ。゜・☆。

貧乏な独り暮らしで、時々、無性に寂しくなりますが、ふと思ったことを書きます………来てくれて、ありがとう。

相手を知ること………壁を乗り越えて

 おはようございます。

 朝、空が明るくなってくると、曇り空でもうれしい。暗いのはなんか嫌だ。恐怖がある………怖い。子供の頃からなんですけれど………すこし過敏なのかも。

 それで今朝も明けました。

 洗濯をしました。

 その前に、バリカンで散髪もしました。だいたい10日ぐらいたつと散髪しているので、習慣になっています。

 

 習慣になると、何事もやりやすい。最初にしたときの緊張感みたいなものが、もうなくなっているので────すでに知ったものになっている。

 知らないものには緊張するものです。

 

「偏見は、相手について知らないから生まれる」という言葉が、偏見や差別についての考察の文章で書かれていたのを思い出しました。

 知らないから恐怖を覚えるし、どうしていいかわからない。それで受け入れるのを拒否しようとする。

 

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 従来のこういう「偏見の定義」は未知のものに対する、不安や恐怖への反動として表れるものですが……… 

 現代の偏見の問題点は、相手を見下したり、貶めるために、「知っていても、知らなかったふりをする」ところにある、と思います。

 あえて、見ないふりをする。

 相手をいじめたり、恫喝したりすることが隠れた目的のことが多い。

 自分さえ満足すればいい、というエゴイズムがそこにあります。

 

 つまり、自分が作り上げるファンタジー、妄想を優先することなのです。それに浸っていることが気持ちいいので、それを選んでしまう。人間って、自分を正当化するために他人を攻撃するのが好きだと思うのです。

 攻撃したり苛める立場に立つと、自分が強くなったような気がして快感を覚える。

 

 人はいつも、「強いか、弱いか」の区別をする。それに敏感です。

 弱い相手を追い詰めて苛めるのは快感で………サディスティクな性的快楽に近い………

 子どもの人格が成長の過程で障害に陥り、未熟だと、たいてい、自分より弱い小動物を苛めたり殺したりする、と心理学者はいっています。

 

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 仏教では、妄想に執着して生き難くして自分で苦しんでいることを、無明というんですが………偏見を持っている人もそうです。

 

 たぶん人は自分を救ったり、自分を正しいと正当化するために妄想を信じないと生きていけない弱い存在なんだと思います。

 他を悪者にしないと、自分が正しいと思えない、という間違った妄想を持ってしまう………

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 人は弱いから、集団を作って依存し合って、保護されて生きるんですが、そこで弱い、強いの差別や、格差を作る。

 

 何かにこだわることを、やめたい。

 他人とのすこしの違いなんて、どうでもいいように思うんです。

 

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 じつは、昨日の続きで、つげ義春のことを書こうとしていたんです。

 つげ義春の子どもの時からの赤面症というか、他人とのコミュニケーション障害について思ったことを………

 それが、偏見のことを思い出したので………違う方向に考えが行ってしまったのです。

 

 人間関係がうまくいかないのは………ぼくもそうなんですが………自分の中で「これは、こうだ」みたいな、信じこんでしまった観念というか、壁みたいなものがあるだと思います。

 自由でいいんだ………と、いつも思うのですが………

 

(ごめんなさい。いまは夕方ですが………朝、書いた文章は ぐだぐだして、なにをいいたいのかわかりにくいと思ったので、すこし書き直しました。ぼくのような人間が、手に余る、難しいテーマについて書くのはだめ、と反省しました)