65歳の日溜まり (*´・ω・)ノ。゜・☆。

貧乏な独り暮らしで、時々、無性に寂しくなりますが、ふと思ったことを書きます………来てくれて、ありがとう。

雨が降って………ぼんやり考えても

 おはようございます。

 今日は雨が降っています。今朝、ラジオ体操に行ったときから曇だった。

 境内で、年輩の夫婦に「すみません、お聞きしてもいいですか? 参禅会に来たのですが………」と尋ねられた。本坊でしているだろうことは知っていたので、場所を教えてあげた。まだ暗いのに、お寺に来るって、熱心な人たちだ。

 

 いま、雨が降っています。一日、降る模様だって、ラジオでいっています。

 

 洗濯はできない………

 洗濯が好きで、それは、気持ちが静かに集中できる時間なんです。

 

 65歳で、働いてもいないから、なにをするか、考えます。ギターを練習しなくちゃならないし、読まなければならない詩論の本もある。

 雨の日は考えやすい。

 老人になって、すべて衰えて、この世にしがみついて生きていきたいと思わない。なんか、自分の美学に反する。

 

 生きていくのは、美学だと思うんです。

 日々の暮らし方、気持ちの持ち方、そういう普段のものを裏打ちしているのは、こう生きたいという美学だ。生きる姿勢というか。

 

 ミクロ的でいい。そこでしか生きていないから。

 マクロにある、社会とか世界的なもの、概念的なもの………規範。基準。規制。

 それは自分の自我の世界には必要ないように思う。

 

 経済学の本を図書館から借りてきて、集中して読んだこともあるけれど────けっきょく、経済学は、統計とか数学の世界でしかない。血が通ってない学問というか、そこから人の生き方を見いだせるようなものでなく、人はこう行動するという統計で決めつけ、未来を予測するだけのものだ、と、思う。勝手にこう思っているので、間違いかもしれない………

 

 社会とか、世界の情勢から、「自分はこう生きるべきだ」とか「こう考えるべきだ」と思ったり、行動の指針を得るのが苦手です。自分は貧乏でいいので、強制されないように生きたい。でも、貧困に陥ると「これしかやり方はない」みたいに、生き方の幅は狭まるのですが。

 

 そのへんが嫌なのですが、自分がこうなってしまったのでしかたないと思っているのです。

 

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 昔の人間なので、つげ義春が好きです。



 新潮文庫版の漫画も持っています。ときどき読む。

 なんのドラマチックさもない(作為的なものがない)ようなところがいい。生活って、そういうものだ。後から考えたら、波瀾万丈、ドラマであったり、ロマンチックであったりするけれど、そのことに直面している時点ではわからないのだ。

 

 いろいろ考えるよりも、いま、やりたいこと、やることをしているのが、生活みたいだ。生きるって、しかたなしにやっていることが多い。

 

 

 このサイト、「つげ義春の青春」を、いま、読んでいます。