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65歳の日溜まり (*´・ω・)ノ。゜・☆。

貧乏な独り暮らしで、時々、無性に寂しくなりますが、ふと思ったことを書きます………来てくれて、ありがとう。

ハレは終り………

 おはようございます。

 今日から仕事始めの人が多いのでしょう、今朝は車が走っているし、駅に向かって歩いている人たちと、たくさん、すれ違いました。お正月が終り、日常が戻ってきました。ハレの日々がお終いになり、普段の生活に戻りました。



 すこし寂しさと名残り惜しさみたいなものがあります。

 

 でも、祭りは必ず終り、興奮はさめる。

 

 革命運動とか、改革も、抗議のデモも………終わるための落とし所が必要です。それがないと、自己中心な勝手なひとりよがりのものになってしまいます。相互依存関係を認めない勝手な自己陶酔は、自他を破壊に導くことになります。

 

 自分なりの仏教解釈で思うのですが………お互いに依存し合い、支えあっているのが「因縁」といわれています。原因-結果の、「因果の法則」で、この世のすべてのことはつながっているのです。

 

 ですから、ひとりじゃない。

 独立して存在するものはない。

 

 ぼくは独りで生きていますが、それは自分で選び取った道なので、寂しくない。つながっているからです。

 

 ですから、独りだけの責任というものもない。この世の、世界の責任です。

 資本主義というシステムのもとでは、うまくいかない事象は「自己責任論」で片付けてしまいがちですが………それは、そのシステムの間だけ………

 自己責任で脱落し、社会の底辺層が増えれば、そのすべての人が自殺とかして世間から消滅するわけじゃないので、国の建前として、救済措置をとらなければならない。けっきょく、貧困に陥る人が増えれば、企業は一時的には労働賃金が下がって儲かりますが────回りまわって社会福祉の予算が増え、商品が売れない世界が来ます。

 

 儲かるということは、誰かのお金が儲ける側に移動するということなので、総量が変わらない限り、誰かが金持ちになるということは貧乏人を作るということです。貧乏人を作れば、商品は売れなくなり、企業は儲からなくなる。

 自分だけ利益を手に入れようとして、それが得られない結果を招くのです。

 

 株価は高騰したら必ず下がる。景気は好景気から不景気を循環する。

 

 二面性も矛盾も含んで、すべては循環するように────たえず変化する。

 

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 ぼくが勝手に思っている仏教は、そんなふうな世界です。

 すべて変化するから、意味もない。

 意義も失われるから、無意味かといえば、それさえも、たえず変化する意味の中にある。

 

 自分が悩んだり、つらい気持ちになったときに………「ありゃ、これは自分に囚われすぎてるなあ、こんなもの、これでいいことなんだなあ」と思えるのです。

 じっさい、つまらないことに悩んだり、くよくよしたりしているので。

 

 たいへんなのは、いま辛い思いをしている人たちです。

 過重労働に従わざるをえない人、馬鹿にされ、軽く扱われる人、拒否され苦しい思いをしている人………そういう、社会で、苦しい思いをしている人たちです。

 

 ぼくも50歳で作業員の日雇い仕事をしている時は、気持ちが暗く、塞いで、死にたかった。でも、なんとか生き延びさせてもらっています。

 

 この世界では、現実の苦労はいろいろありますが、ほとんど、見方を、見え方を変えることで、新しい道がひらけます。大事なのは自分自身がめげないこと。他に縛られて挫けないことです。

 

 現実の苦難への対処法は、それぞれなので、仏教に求めてもだめですが、世界への視点が変わるのは仏教を置いてないと思うんです。べつにぼくは仏教の宣伝係じゃないので勧めたりはしませんが………思っていることを書きました (^_^;)

「無常」とか、「無我」とか「縁」を考えていくと、日常を越えた世界が広がるような気がするのです。

 

 すみません、今朝は論理的なことに走ってしまって………

 ときどき「仏教って………」みたいなことを考えてしまうので、文章にしたいと思っていたので………

 また、自分の生活の、つぶやきの日記を書きます。