65歳の日溜まり (*´・ω・)ノ。゜・☆。

貧乏な独り暮らしで、時々、無性に寂しくなりますが、ふと思ったことを書きます………来てくれて、ありがとう。

中道で 適当に

 おはようございます。

 洗濯をして、食事をして、一日が始まります。それまでラジオ体操と朝食作りがあるけれど。

 料理といっても、すき焼き風煮込みと味噌汁を作るだけなので、簡単です。キャベツの千切りと、玉ねぎ、大根、ピーマンなどを混ぜた野菜サラダと、タッパーウェアで作っているぬか漬けを添えて。ぬか漬けはなんでも漬け込みます、自分で作れば、おいしい。

 

 人が生きるのは、食事をとることと同じ。

 何を食べて生きていくのかが、大事。基本だと思います。

 ベジタリアンでも生きていけるけれど………

 

 極端な菜食主義は、過剰な禁欲主義と同じと思っています。適度な菜食主義がいい。

 

 お釈迦様がいったように、過剰な、過激な、極端なものは、けっきょく、生きることを阻害すると思います。中道がいい。適当でいい。

「適当」というのは、そのことに一番いいやり方でする、ということです。自分のためでなく、その人や、そのことに、いちばんいいやり方で行うこと。

 

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 いくら言葉が美しくても、実質的に、そのことへの妄想に執着していると、道を間違う気がします。

 

 美しく聞こえる言葉はたくさんありますが、本当の内容は、エゴイズムだったり、権力拡張のためだったり、けっきょく、自分の利益のためだったりすることが多いのです。

 

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 特に、資本主義の、商品経済の、売れなければ利益にならないというシステムの基では、嘘に近い宣伝が行われたりする。金がすべての世界では、詐欺をしても、勝った者が強いことになります。

 

 これは、人を取り巻く現実の環境のことですが………

 

 人の意識の世界でも、脳内は美しい幻想で飾られている気がします。そうしなければ生きていけないし。

 

 世間の風潮がそうなので、自分の生き方もその中にあります。

 

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 すいません、あまりに論理が飛躍していますか………いいたいことは………人が生きる場において、極端に走ることが、けっこう肯定されている、ということです。それが、現実の構造から来ているのだろう、と、ぼくは思っているのです。

 

 それで、あまり極端に走らないように、お釈迦様がいったように、中道のほうがいいのではないか………と思っているのです。 

 

 極端にすることは────興奮するし、一瞬の喜びもあるし、それが正義のようにも見えるので、自己中心的に世界を引っ張っているような快感もある。

 問題を解決しているようにみえる。でも、けっきょくは間違っているのです。

 他と、穏やかな関係を築けないからです。そう思うんです。