65歳の日溜まり (*´・ω・)ノ。゜・☆。

貧乏な独り暮らしで、時々、無性に寂しくなりますが、ふと思ったことを書きます………来てくれて、ありがとう。

ネガティブなものは、ないのです

 おはようございます。

 晴れて、暖かい。

 小春日和っていうんですね。

 

 いつも、書きはじめてそのとき思ったことを文章にしていくんだけれど………行く先を決めずに、構成もなしに書き始めています。

 自分の人生みたいなので、それでいいと思っています。ぐだぐだでいい。迷いながら歩いているのが、自分だし。

 それでも歳をとったので、ほとんどのことに驚きがなくなった。動揺することもない。多くのことが、かって経験したことを思い起こさせるから、心配も恐怖も感じなくなった。どうなるんだ、という不安も、考えてみれば、いつかのことの繰り返しに終わる。

 

 若いときは、なにかになりたくて………他人から賞賛されるような人になりたくて、焦る。

 人生に不安で、意味を追求して、安心を求める。たぶん、若いうちは、周囲から、まだ何者でもない、と思われ、そういう扱いを受けるからだと思う。

「お前はまだ価値がないんだよ」「生意気なんだよ」的、圧力を受ける。そうする他人が多い。

 これは、世の中というのはそういうものだと思ったほうがいい。

 価値がある、役に立つという評価よりも………自分のエゴイズムを通すために他人をなんとか貶めて、挫けさせて、支配しやすくしようという人間の本性の在り方なのです。

 

 この世では、他人はみんな競争相手にならざるを得ない。人の社会はそういうシステムです。

 

 他人を無価値に陥れることが、自分の価値をあげることになる。

 これは心理学でもいわれていることです。

 そういうことが社会で行われている………

 

 人は決して、仲良く穏やかに平和で暮らすという存在ではない、とぼくは思っています。

 ずっと底辺で、虐げられるような扱いを受けて生きた経験があるので………そう結論をだすことができるのですが………ぼくが単なる、偏屈で偏狭な心の持主なだけなのか。

 

 自分の人生の結論は、こうして歳をとってひとりで、貧乏であることで、出ていると思うんです。

 あまり、いい人間じゃなかった。

 それでもぼくのような境遇の人は、多いといえないかもしれないけれど、いると思うのです。

 

 なるべく人を恨まず、絶望することもなく、いいかげんでも自分を許し、生きていきたいと願います。

 すべてはなるようになるし、ならないものはならない。

 人間が考えることは………この自然の流れのすこしのことでしかない。

 

 

 ずっと、「この世のすべてのネガティブ、否定的なものを、肯定したい」と思ってきました。

 この世間で否定されるだけでは、自分の持って行き用がありませんから。

「この世で否定的にされているものは────そんなことは、ない」といいたいと思います。

 

 仏教では、この世には………これだ、と固定されるものはなく、すべては変わっていくと………無常であるといいます。それだけは真実だと思えるのです。