65歳の日溜まり (*´・ω・)ノ。゜・☆。

貧乏な独り暮らしで、時々、無性に寂しくなりますが、ふと思ったことを書きます………来てくれて、ありがとう。

来し方を考えていた

 おはようございます。

 昨日の午前中はハローワークに行ったので、その帰りに写した写真を。

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 秋なんですね。道路に落ち葉を見かける。

 

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 昨夜は眠れなくて、来し方行く末のこと、考えていた。

 

 16歳から働いて、大人の社会に馴染めず転職を繰り返した。疾風怒濤の時代………自分が何者か知りたいと思っていたし、ここではないどこかへ行きたいと思っていた。

 20才でトロール船に乗る。一航海で懲りた。仕事はきつかった。

遠洋漁船 - 詳細表示 - 第311混成旅団 - Yahoo!ブログ

サイトの高千穂丸(日本水産 遠洋トロ-ル漁船 Ⅲ)の甲板員として行った。

 

 その後、西成で土方をしていて………沖縄が返還されたので、衝動的に黒潮丸で渡った。3年間、いた。飯場に入って嘉手納基地第3ゲート前の道路工事をした。

 

 そのときに出会ったのが「釜ヶ崎共闘会議」の人たちだった。

 

 26で大阪に帰ってきて、結婚した。

 中核派のシンパだったのは33才で離婚するまで。三里塚をめぐる新左翼セクト主義に幻滅した。

 

 ひとりになって聖書をまともに読んだ。教会に行ったりしたが………

 宗教を学ぶことが根本的に人生を考えることになると思っていた。世界観を再び確立したいという思いか………

 

 36歳から韓国人の社長の下で6年、働いたが、社長の愛人と喧嘩をして、やめてしまった。40代になるとまともな仕事がなかった。

 

 50歳の2年間は西成で作業員をしていた。そのとき、支えになったのが、自分なりの仏教の解釈だった。

 いま、ここでの現実しかないし、何もないこと。すべては変わること。

 

 55歳で社会からひきこもろう、関わりを持たないと決心して、他人と没交渉になった。

 

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 父親は84歳で亡くなった。ぼくが52歳のときだが………人の一生というのは、なにかを求めて生きていると、自分の人生を描いてみて思う。

 父は優しい人だったが、ぼくはそうじゃなかったと思う。

 

 人生を短く語れ、説明せよ、といわれれば、上に書いたようなことだ。

 

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 歳をとって、過去のことを思い出して後悔することばかりだ。

 そのときは、必死でいるから、わからない。いまは老人になったから俯瞰できる。

 

 多くの人が、それぞれの現実と、人生を歩んでいるのだ。

 みんなに違う人生がある。それぞれの思いがある。

 だから、それぞれが大切だ。

 

 理想をいえば────

 他人と喧嘩せずに、仲良く、理解しあえ、思いやりがあって………そんななかで暮らせればいいと思う。笑顔で。

 

 現実、難しいのですが………