65歳の日溜まり (*´・ω・)ノ。゜・☆。

貧乏な独り暮らしで、時々、無性に寂しくなりますが、ふと思ったことを書きます………来てくれて、ありがとう。

自分を破壊しないで………

 おはようございます。

 昨日、大阪は小雨が続いていて………夜も降っていました。今朝、曇りです。いまは光が射しているけれど………午後には、また、雨になるようです。

 

 WEBの「産経ニュース」を毎日、見ています。

 今朝は、


の、下に貼ってあったリンクから、


など読んだのだけれど────納得できる記事でした。

 厭世観や虚しさから「自殺する代わりに」なにかしでかしてやろう、という考え方はわかります。この世間を否定する気持ちがあるのだけれど、それを昇華する手段がない。嫌悪感をどう解決していいかわからない。というか、どこに訴えていいのか、分からないし、訴えてもわかってくれるとは限らない。

 むしろ「甘えるんじゃない」とか、否定、侮蔑されて、拒否されることが予想されるからです。人間は、人の上に立って、上から目線で相手を貶めることに快感を感じるようにできていますから。相手を馬鹿にするのが好きなのです。

 

 それは他人とのコミュニケーションの障害ともいえるものですが………

 

 思い込みともいえますが、当っているところもあると思います。

 上から目線で、ほんとうに、相手を馬鹿にすることに、なんの躊躇も感じない人は多いのです。

 そうすると、自分が強くなった気がするのでしょう。それに、それほど冷たい、優しさを否定した自分であることは、人間関係で相手を打ち負かすことにつながるので、強い立場になる。

 それが快い。

 

 強さ-弱さは────人間関係での基本的な構成部分なので、誰も逃れることができません。他者と関係を持つ限りは。

 

 二人でいると、主と従になるし、三人だと2人で1人を苛める。五人のグループだと、三人と二人か、大勢でひとりを苛めることになる。七人でも九人でも、人間は集団になると、派閥を作り、争う。弱いグループを貶める。

 

 

 たぶんそうすることで、人間という集団の「進歩」とか「文化」とかを作ってきたのです。

 

 弱さ-強さの、「人間関係の基本」は変わらないのじゃないでしょうか?

 

 ある意味、争うからこそ次のステップに上がっていける、ともいえるのです。

 

 非常に気持ちの繊細な、よく考える人は────他人の気持ちもよく考えるので、人間の関係において、自分が弱いままで虐められることに耐えられないのでは、と思います。それで自己破壊的になる。

 

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 そういう矛盾の解決策として────いいか悪いかわかりませんが、ぼくのように、人間関係を作らないことに決めることもできるのです。

 世間の片隅でひっそりと生きる。世間の枠組みから離脱して、無理に合わせようとしない。

 いまはひきこもりでも生きていける、非常にいい時代です。

 

 弱くても、貧乏でも、この世間で願いが叶えられなくてもかまわない。自分が満足して生きられたらいいと思う。

 

 この、イスラム国の戦闘員になろうとして失敗した人は、それでよかったのです。人を殺したら、よけいに苦しむことになるだろうからです。