65歳の日溜まり (*´・ω・)ノ。゜・☆。

貧乏な独り暮らしで、時々、無性に寂しくなりますが、ふと思ったことを書きます………来てくれて、ありがとう。

政治をする人たち

 おはようございます。

 昨日の夕方にネットサーフィンしていて、まとめサイトで………

 



の動画は、いちおう、見ました。大阪人なので、橋下市長がどういう対応をするか、興味があったので………

 子どもの喧嘩かよ、と思いました。

 お互いに相手への先入観だけで、罵倒しあっている。大人じゃないな、と。

 

 在特会は汚い言葉と過激なスタイルを売りにしてるので、喧嘩腰にくるだろうと思っていました。

 橋下市長は行政の長なのですから、「ヘイトスピーチをやめろ」「国籍で括るな」と上から押さえつけるような言い方はよくないでしょう。それでは公平さを欠く。先入観で相手を見て、切り捨てているように思いました。ヘイトスピーチはよくないという、ことが、大勢の賛同を得られるとしてもです………

 

 ヘイトスピーチをしている奴ら、ということが前提になっている気がします。

 

 ヘイトスピーチはよくない、のはたしかですが、なにがヘイトスピーチなのかが、テーマにされる必要があります。

 これはヘイトスピーチだ、といっている人がいるから、被害を受けているといっている人がいるから、とにかくお前は悪いんだ、となるのは、不公平というか、なにも内実を検証していることにならないと思うんです。

 

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 敗戦のショックと混乱もあり、戦後は、国内的な、あるいは国際的な事情で、日本の中に在日という枠が生まれたのです。

 在日と呼ばれる人びとは特別な位置にあり、日本のなかで、特別な権利を得てきました。

 それを在特会は批判しているのですから………行政の長としては、まず、冷静に話し合うという態度でなければならないと思います。思い込みで、ただ相手を否定するだけでは民主的な社会のリーダーとはいえないでしょう。

 

 個人で、ただ喧嘩したいだけなら、市長をやめてからすればいいのではないでしょうか。市長というからには、行政としての責任があると思います。

 

 この動画がどう利用されるかわかりませんが、単純に、橋下市長が「在日韓国・朝鮮人を批判するな」といった、というふうな受け取り方をされるのではないでしょうか。ニュースというのはいつも表面的なところしか、取り上げないからです。

 

 ぼく個人は、生野区に住んでいるので、近所の人が韓国人であろうと朝鮮人であろうと日本人であろうと挨拶するし、仲良く生活できたらいいと思うのです。

 暮らす、というなかでは、観念的な先入観とかは意味が無いものだと思っています。 

 むしろ、観念的妄想=イデオロギーが、人が生きていく邪魔をしている、と………

 

 現実の世間では、イデオロギー的妄想の強いほうが、大声で主張したり、集団のいい位置を占めたり、政治の上で利益を得たりするので、集団で団結して戦い、勝つ、という方向へ行くことがまかり通ります。

 

 個人的には、集団で相手を貶めたり、誹謗するのは、見ていても不愉快です。

 

 しかし………人間って………集団で相手を非難したりするのが………歴史だったりするので………そういう存在なのかもしれません。

 

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  こういう記事も………

 他の議員もうちわとして使用できるものを配っているのですから、同じように告発されるべきですね。

 

 松島法務大臣は辞任し、もうすでに後任も決まりました。

 

 

 それにしても、政治をしている人は、多くのお金がかかってなされている(=国会は1日運営するのに3億円かかっている)、ということを自覚して、党利党略の枝葉末節の議論をなるべく省いていただきたいものです。

 でも、無理なんだろうなあ。国会議員をすることが日常となると………金は、税金だから、いくらでも使うためにあるもの、という感覚なんだろう、と思います。庶民とは感覚が違ってしまうのだろうし、人間というものは、地位を得ると、そうなる。そういうものでしょう。

 

 ぼくは、偉そうに、政治や行政の批判をしているけれど────大きな枠組での、世間の金額の大きさや、イデオロギーなどのこと、世界の国の衝突、紛争のことなど、考えたら………自分の卑小さに目眩がしてきそうです。偉そうにいえるような人間ではない………

 

 それでもつぶやいてしまうけれど……… ほとんど社会の役割には価値の無い自分が、政治や世間の出来事について発言できる日本という国は民主的な自由があるという気がする。

 こんなことがいえるブログという場にも感謝しているのです。