65歳の日溜まり (*´・ω・)ノ。゜・☆。

貧乏な独り暮らしで、時々、無性に寂しくなりますが、ふと思ったことを書きます………来てくれて、ありがとう。

恫喝には、未来がない

 おはようございます。

 



 これはひどいことです。罪があると思えないからです。

 相手の国の新聞や国会の論議などを引用して書いたエッセイが、名誉棄損罪というものに問われたわけですが………このことの本質というか、本音は簡単です。ようするに、大統領を批判すると外国人でも罪になるぞ! という恫喝です。

 韓国大統領府は自分の国の新聞社とかジャーナリストを、次々に訴追していますが………また、じっさい罪に問われた人もいるわけですが、これでは言論の自由があるとはいえません。

 今回のことは、それが外国の特派員にも拡がったということなので、「この国には正義がない」ということを国際的に知らしめることになるでしょう。日本は冷静に、これからのつきあい方を考えるべきでしょう。 

 反日教育をしていて、親日法という罪状がある国ですから………親しくすると罪に問われる。日本は敵とみなされている………

 

 それでも、日本にいる在日朝鮮人、韓国人たちは生活保護を受給し、犯罪を犯しても強制送還されない特権を享受しています。

 じっさい、朝鮮人、韓国人の犯罪は多いのです。最近は改善されましたが、ずっと通名で報道されていたので、広く知らされることがなかっただけなのです。多くは、日本人の犯罪になっていたので。

 

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 べつに反朝鮮とか、反韓国という意識で、書いているのではありません。事実でしかほんとうのことはわからないし、事実を見ることがほんとうの理解につながるからです。

 

 イデオロギーとかの妄想で、他人を縛ったり、自分の利益になるような自己中心的なことをして、「おまえが悪い」と相手を貶めるような思考のあり方を認めるのが、苦しいからです。たぶん、そういうところで、「真実」は、ない。人が仲良く生きられないからです。

 

 ぼくが30年前に、離婚して、西宮から生野区に引っ越してきたのは、差別とかされてきた朝鮮人や障害者が多く住むところでは、人間的なほんとうのつきあいができるだろうと期待したからです。

 世間的な常識で測られるものは、差別とか格差とかを容認するものをどうしても含んでしまう、と思ったからです。

 

 ここで、聖和教会の集会に出かけたり、韓青同のハングル講座に通おうかと思ったりしたこともありました………昔のことです。

 若かったので連帯を求めていた………という、妄想に生きていたのですが、ここで住んでいる人の真実の姿というか、生活の姿ややりかたを知るにつけて、「どこでも人間は同じだ」ということに気がつきました。差別とかを声高に叫ぶことはある意味、イデオロギーで相手を巻き込み支配するためなのだ、というほんとうのことに気がついたからです。

 

 生きるのに、朝鮮人も日本人もありません。

 枠組みをうんぬんするのは、そうすることが自分の利益につながるからです。自分が得をするために、差別があるとか、相手を否定しようとする。

 

 ひとは、同じところで生きていれば、生活のなかで、挨拶したり、掃除をしたり、つきあい的なことをしたり、認め合わざるを得ません。喧嘩をするために生きているのではないのですから。

 

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 在日は生活保護の割合が極端に高い。60万人しかいないのに、5万人が生活保護を受けている。また、やくざの半分は朝鮮人です。つまり犯罪を仕事にしている………ということです。犯罪でないかもしれないが、暴力を背景にして恫喝する生き方を選んで、生活しているということです。

 

 日本人は────相手が歴史認識をいいつのり、謝罪せよ! 賠償せよ! といわれ続けることで、ほんとうはどうだったか、に気づきはじめました。

 

 在日については、べつに、こちらから来てもらったわけではない。すべて戦後の混乱のなかで、共産党弾圧の済州島から逃げてきた人か(8万人が殺されたといわれています)、生活苦のため、一旗揚げようと日本に密航してきた、あるいは朝鮮戦争という民族同士の争いから逃げてきた人たちです。

 自分の国よりも、日本の方に希望を見た人が、密航してきたわけです。

 

 戦後のいろんな事情があるので、在日は日本で特権的な位置づけでした。また特別な権利を得てきたといえると思います。

 

 いいとか、悪いとかではありません。歴史はそうだった、という事実だけです。

 

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 それでも、時代は変化するので、いつまでも、変化しないままではいられないのではないでしょうか。

 

 生活する場では、日本人も外国人もありません。いっしょに生活する場では、気持よく挨拶するか、相手を脅さないか、ゴミを道に捨てないか、自己中心的な我が儘で周囲を不快にさせないか、ようするに、周りに迷惑をかけないか、が大切な問題です。

 みんな同じなのです。

 

 人として、生きるというのはそういうことでしょう。

 苦しかったら、助け合えばいいのです。

 苦しかったら、助けてもらえるように、助けを求めたらいい。

 

 けっして、自分が正しいから、自分は助けて貰う権利があると………自己中心的に考えないでほしい。他人を利用して自分だけ得をする、ということがないようにしてほしい。

 

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 この世ではいろんな枠組みがあり、なにが正義か、わからなくなることが多いです。

 でも、お前がやったことは罪なのだ、罰せられるのだ、と相手を恫喝するのは、だめでしょう。

 この事件から、いろんなことを思ってしまった……… 

 

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 ぼくは、日本人にしても朝鮮、韓国人にしても、相手を一括りにしてしまう、先入観とか枠組みが、あり、現実では、受け入れざるをえないところで生きていると思っています。

 でも、「生活の場」ではそういう枠組みにこだわっていたら、暮らしていけません。

 庶民のエピソードには、国同士が戦争していても、お互いに助け合ったという記録がたくさんある………

 憎しみ合うのは人の本来の姿ではない、と思っています。