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65歳の日溜まり (*´・ω・)ノ。゜・☆。

貧乏な独り暮らしで、時々、無性に寂しくなりますが、ふと思ったことを書きます………来てくれて、ありがとう。

子どもの場所

 おはようございます。

 昨夜、ラジオで報道していたのだが────


東京新聞:児童虐待通告1万3000人 上半期 警察から児相に:社会(TOKYO Web)

 

 この少子化が問題になっている時代に、虐待されて殺される幼児や子供が増えていると思う。あまりにも多い。

 神戸市長田区の生田美玲ちゃんのように、子供が性的対象になって、殺される事件も後を絶たない。

 そういうことは、いつの時代もそうだ、といえるのだろうか………

 

 なにも罪がないのに殺される子供がかわいそうだ。(ほんとうに………ご冥福をお祈りします。)

 

 ぼく自身は、若い時に離婚して、子どもを育ててないので=(ネグレクト)………まっとうな意見を言える立場ではないが。

 

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 今の時代────あまりにも核家族になってしまって、子どもを育てるということが、閉鎖的な環境のもとにある、と思うのだ。

 

 保育所や社会的な援護の施設はあるが、最終的には家庭のなかで子どもは育つものだと思う。

 親の貧困や、事情が、児童を虐待する原因としてあるのだろう。

 

 ぼくが子どもの頃の時代は(昭和30年代だが)、地域というか、隣近所で、子どもが遊んでいたから、すぐに目が届き、当たり前のように近所の人が面倒をみていた………声をかけたり、叱ったりして………そういうことがなくなっているからだと思う。

 

 閉鎖的で、孤立的なのだ。子どもがいる状況が。

 

 隣近所に気軽に声をかけるような状況になければ、子どもがひとりでいても、放置されるし、虐待の泣き声が聞こえても、警察や児童相談所に通報するだけで終わるだろう。

 

 そして、警察や児童相談所は、家の中まで入って点検、質問する権限がない………とされている。

 だから、児童虐待は放置される。

 

 子どもは自立していないので、本来、保護されるべきものだ。

 まず、母親がいちばんに子どもを抱きしめ、保護してやらなくてはならない。それは人間が動物であるからで、フェミニストがいう権利とか生きることとは関係がない。子どもにとって、母親の存在は、絶対だ。

 男も子どもを保護しなければならないのは当然だが。

 

 だが、子どもが殴られ、蹴られて殺されている事件の報道などでは、母親が、男が子どもを虐待するのに手を貸していることが多い。男に嫌われたくないから………

 母親だけを責められないが………弱い者を犠牲にするな、と思う。

 家族とか家庭とかいう枠組みが壊れていて、ない。

 

 

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 子どもが殺されたりするのは、ほんとうに、かわいそうだ。

 

 時代は後戻りしないので、昭和の時代の、貧しくても、子どもが近所で集まって路地で遊んでいたようなことには、もうならないだろう。

 

 それなら、子どもが安心していられる空間を作ることが必要ではないか。

 家庭とか地域とか関係なく、保育所や託児所や学童保育の枠も関係なく、行政の縦割り規制も関係なく、子どもがそこにいれば安全な場所を作り出し、細かい規則が必要とされない場所が………

 

 公園もスーパーのような施設も、子どもにとって安全ではない。誘拐するような大人の餌食になる。ならば、大人の知恵で、子どもを集めて安全に遊ばせられる、そんな子どもが勝手に安全に遊べる場所が作れると思うのです。

 

 規制された入れ物ではなく………

 そうでないと、いまの子どもたちは不幸です。