65歳の日溜まり (*´・ω・)ノ。゜・☆。

貧乏な独り暮らしで、時々、無性に寂しくなりますが、ふと思ったことを書きます………来てくれて、ありがとう。

孤独や孤立は、ぼくにはいいことだった。

 おはようございます。

 朝まで雨が降っていたんだけれど、いま9時、晴れています。東北地方、北海道がこれから雨になるようです。

 

 人は自分がいまいるところを中心に考えるし、自分の立場しかわからないものです。自分の周りの環境が自分に影響を与えるので、それだけが問題となる。

 自己中心的にならざるを得ない存在としてある。

 

 自分の周囲の人を、脅したり、嫉妬したり、貶めたり、手練手管を使って心理的にコントロールして、自分が快適な環境を作ることに熱心な人もいる。

 常識的な対応では、そういう人の自己中心性とか我が儘を止められないものです。

 そういう人は他人を巻き込むことが好きなので、人間関係に長けているというか、対立したり喧嘩するのを楽しむところがあると思う。他人に対して暴力的なのだ。

 いざ、喧嘩して殴りあったりするまでの勇気はないが、他人に対してはサディステックな心理を持っていると思う。

 

 他人を巻き込むことが、自分の価値を高めることだと勘違いしていることが多い。 仕事をしないで、命令ばかりして、自分を指導者だと思いこむようなことは、世の中によく見られることです。

 

 いっけんやり手にみられるので、仕事の上で、上の立場になることも多い。

 

 この社会は、資本主義なので、そういう他人をコントロールできる人間のほうが、効率的に労働者を搾取できるので、そういう人を上の立場に置くことがよくあるのです。

 

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 仕事とかの人間関係においてはしかたないともいえますが………

 ぼくはそういう集団の在り方にはついていけませんでした。多くの会社で働いてきたのですが、意地悪な人や、あつかましい人は、必ずいました。苛めるのを楽しむ人も。

 50歳の頃、西成で仕事を探していた時期は、日雇いの作業員でした。後に派遣の常雇いになりますが………仕事がある時だけです。

 底辺の仕事では、人間関係は希薄で楽ですが、もっと粗雑で乱暴な扱いをされました。

 

 ひとりのほうがいいのです。

 

 たぶん、集団の中で生きるのが得意な人と、そうでない人がいるんだ、と思う。

 

 多くの集団とかグループでは、その集った目的をないがしろにして、人間関係ゲームに浸っていることが多いのです。

 たぶん、集団でしか生きることが出来ない人間の宿命といっていい課題だろうと思います。また、人には、争いとか、和解することなどのドラマチックを好むところがあると思うのです。

 

 落ち着いた生活は、ひとりでしかできません。

 

 孤独になったり、孤立したりするのもいいことのように思うのです。

 

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 若い時や、30代、40代は、仕事で求められるものも違うし、社会から期待される像もあると思う。家庭を作って維持しなくてはならないし。

 それで、社会の在り方や成り様も、そうなっている。

 集団での自分の位置が気になることだろう。

 集団の中にいることで守られることもある。安心できる。

 

 でも、仏教的に、究極に考えたら────すべて、社会の目標や人生の目的はあっていいものだけれど、それに執着して「どうしてもこうあらねばならない」というものではない。

 それから離れた視点を持つことが大事なように思う。

 

 いずれにしても、すべては変わっていき、変化するのです。

 そして、変わらないと思っている「我」も縁によって成り立っているので、我がある、という錯覚に過ぎない………

 

 若い時だけです、他人、とくに男女が真剣に求め合うのは………

 そのときは、他人が必要なのです。