65歳の日溜まり (*´・ω・)ノ。゜・☆。

貧乏な独り暮らしで、時々、無性に寂しくなりますが、ふと思ったことを書きます………来てくれて、ありがとう。

敬老の日のあくる日

 おはようございます。

 昨日は敬老の日という祝日だと知っていたんだけれど、ぼくには多くの祝日とかは関係ないのです。

 世相の多くのことに興味が無い。

「ああ、そういう記念日か………」と思うだけで、世間が休みになっているな、と感じるだけです。

 

 オリンピックとかも興味が無い。万博も。(前の道路は作りに行ったけれど)

 遊園地も観光地にも惹かれない。

 テレビも見ないし、一部の芸能人はきれいだなと思ったりするけれど。

 

 昔からあまり人間関係に執着するほうではなかった。

 と、いえば格好いいが、煩わしくて逃避していたのが実体です。いろんな人がいて、怒ってきたり、叱られたり、無視されたり、泣きつかれたりして、人間関係に疲れたことが原因です。

 最初はいいのですが、ぼくには、他人を不愉快にさせるなにか………態度みたいなものがあるみたいだ。いいかたが断定的で、偉そうに見えるからか。反発されることが多い。

 たぶん底辺で生きていた思いというのがあって、これが自分を作っているから、その苦しみを美化して、「それが生きることの本質だ」みたいな言い方をするからだろう。西成の話しなんかして、分かる人はおおくない。

 誰も人の苦労話を聞きたいと思わないし、説教も聞きたくないのが本音だろうと思います。

 

 人間というのは、強いのが好きだし、美しい方がいいし、単純で脳天気で、強烈で、なんの悩みも持っていなさそうな暴力的な人が好きだ。

 

 人は、うじうじ考える他人が嫌いで、単純な論理に巻かれることが気持ちいいのだろう。 

 すこしワルが好きで、他人を巻き込み、興奮を与えてくれるものが、好きなように思う。

 

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 人は、幻想に囚われると思う。

 若いときは、自分も世の中も、変だと思い、これを変えたい、あるいは見極めたい、わかるのではないか、という幻想に浸る。

 

 歳をとると、世の中、こんなものだ、という諦めに。

 

 幻想が幻想だとわかるのはいいことです。聖徳太子がいったように、世間虚仮という認識が必要です。

 

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(こういう言い方が生意気なんだろうなあ)m(__)m

   

 

 

 いまは、他人に、わかってくれと強いることもないし、ひとりでいいと思っているんです。