65歳の日溜まり (*´・ω・)ノ。゜・☆。

貧乏な独り暮らしで、時々、無性に寂しくなりますが、ふと思ったことを書きます………来てくれて、ありがとう。

記事を読んで不愉快になったりする

 おはようございます。

 気持ちのいい朝です。涼しい。元気でいたい。

 

 いつも思うんです、僕たちは大きな現実の前に無力だと。(〈ぼくたち〉と一括りにしてはいけないか………〈ぼくが、〉です)

 

「サンフランシスコ市に新たな慰安婦像計画」

 

「精神科女医のつぶやき キス写真で羨望バッシング………」

 

………などの記事を読んで、

  • 相変わらず中国・韓国の反日工作は続くもんだ、正義なんかないんだな、この世には────という感想を持ちますし、
  • 「キス写真で羨望バッシング」のほうは、現実の汚れた部分を受け入れて揶揄している神経の図太さというか………こんなもんだね、現実は、ハッハと………問題の本質をずらした心の歪みみたいなのを感じて、不快です。

 

 現実というのが、こういうニュースで構成されていることが多い。

 こういうのが、現実だ、と突きつけられている。

 

 ぼくが選んだ現実ではありません。

 世界の実体でもない気がする。

 

 ただ、こういう情報で、現実はこうだとされている。

 

 不快になるためでもなく、感情を一定の方向に誘導されたくもないが、現実として見せつけられると、「そんなものなんだ………」と受け入れてしまう。

 

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 自分がいて、同じアパートに住んでいる朝鮮籍のお爺さん、お婆さんがいて………近所の話好きな済州島出身の T さんがいる。

 自分の時間は、(いままで暑かった)部屋で本を読んでいるか、焼酎を飲んでいるか、パソコンの画面を見ているか、だ。一日、誰とも話さない日もある。

 ひとつ空けた隣部屋のお爺さんが一晩中、独語しているのを聞いている(意識しているわけではないが、聞こえてくる)こともある。自分もときどき、独り言をいってしまうので、心配だ。

 

 自分の身近なものが自分の世界で、そこが暮らしの実体だと思うのだ。

 

 情報として受けとるものとか、そんな記事を読んで、感情を揺さぶられたりするのは間違いだと思う。