65歳の日溜まり (*´・ω・)ノ。゜・☆。

貧乏な独り暮らしで、時々、無性に寂しくなりますが、ふと思ったことを書きます………来てくれて、ありがとう。

酔って考えたこと

 いつも、心がかよいあった、安らぐ生活はどんなんだろう、と考える………

 ぼくは若いときに離婚したので、それから女の人とのあたたかい関係を築けなかった。

 トラウマだろうか、女の人とのつき合いとか、人間関係を作ることとかに、臆病になってしまった。

 人の底が知れた………、というのは傲慢か。

 

 社会的な適応力もなかったのだろう、苛められることが多かった。大人の社会でも苛めはあり、それが(人の社会の)本質だといえます。(子ども社会の苛めは、それを見習ったもの)

 誰もが、苛められないように自己防衛の保身の身振りをする………

 

「苛め」という言葉が適当だろう。

 差別や格差という言葉は論理的だが────苛めは、相手の感情が入るので。

 差別とか格差に反論したり反抗したりするのは簡単だが、苛められるのに抗議するのは無理だ。そうするのが、相手が、好きなのだから。

 

 他人も、社会も、変えることは出来ない。

 共産主義という理想も社会を変えることはできなかったし。

 

 逃げる、枠組みを投げ捨てるしかない。

 

 苛めがあったり、自己中心で自分ばかり優先し主張する社会は続いていく。たぶん、それが人間とか人類の生きるということの在りかたなのだ。人は社会で生きていると忘れているが、(忘れたふりをしている)、他の動物を食糧にしなければ生きていけない存在なのだ。牛や豚を食べ、羊を食べ、魚を食べる。

 食わなきゃ死んでしまう。

 食わずに死んでもいい、というのは、宮沢賢治の童話「よだかの星」だけだろう。 

 べつに何もできないけれど、他人を苛める側にいたくないな。