65歳の日溜まり (*´・ω・)ノ。゜・☆。

貧乏な独り暮らしで、時々、無性に寂しくなりますが、ふと思ったことを書きます………来てくれて、ありがとう。

敗戦記念日に

 おはようございます。

 今日は日本が太平洋戦争を終わらせるためにボツダム宣言を受け入れ、無条件降伏した日です。

 昨夜、NHKラジオで、戦争が終わるまでに空襲を受けた町が200、死んだ人が20万人にのぼる、といっていたのですが、検索してみました。

 太平洋戦争 空襲 死亡者数

     検索結果ではいろんなサイトが出て来ます。

 

 第二次世界大戦の犠牲者数

 

 多くの犠牲者が出ました。統計には出て来ませんが、それぞれの人生があったのです。

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 戦争は誰にとっても得になることはなにもない。

 でも、そうなってしまう………

 人間というのは他人への暴力の支配が好きだ。というか、人間性の本質なのだろう。優劣を競うし、争うことが好きで、自己中心的で、プライドが高い。

 とてもキリストのようなブッダのような人間になれないのはわかっている。だが、他人を受け入れることが苦痛なのだ。自分の好きなように、自分の都合で受け入れたい。現実のままではだめなのだ。惨めな自分が露わにされるから。

 

 けっきょくは誰の責任でもないが、他人と争うことになってしまう。

 

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 戦争とか暴力は、やっていることは苦しいけれど、精神が高揚して興奮する気持ちよさがある………麻薬と同じ………それに道徳とか倫理はおいといて、好き放題に暴力の快楽に身を浸せる。

 そういうことは、やめられない。

 

 正義を叫ぶのも、同じことです。興奮する喜びがある。

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 争いはいつもあるけれど、「戦争をやめろ」とか「争いをやめろ」と声高に叫んで活動するのも、興奮する快楽に身を任していないか。他人と話し合う場も持たずに(そのほうが都合がいいから)、自分の正義だけを主張するのは………「他人を非難することが楽しいように見える」と指摘されてもしかたがない。

 

 現実は、矛盾に満ちた醜悪なものではあるけれど………

 現実は、いい人も、悪い人も、参加して、みんなで作り上げているものだから、一部の正義とか悪へ導く謀略とかでは、変わらないのです。みんなでそうしている、としかいいようがないものです。

 

 もちろん、政治の政策でも変化するし、文化的なことでも変化する。表面とか衣裳とかは………

  非常にゆっくりとだが、人の考えの在り方も変わっていく。

 だから、そんなに、絶望するほどのことでもないのです。

 

 人間の本質とは何かって、いつも思うけれど、変わらないと思うのです。

  

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「戦争をやめろ」と叫ぶことでは戦争はなくならない。けっきょくは力になる。暴動的になって、血を流して、あるいは誰かが死んで、その意味が問われる。これだけのことになってしまうのだから、戦争をすることは悪だ、という主張になる。

 過激なことが、許される。

 

 世間で、原理主義者が、他の犠牲を省みることがなく、原理主義がまっとうだと思っているように。

 

 この世から、包丁がなくなれば────包丁で手を切る人はいなくなる、し、怪我をする人もいなくなる、が………

 料理をするときに、野菜も肉も手でちぎる苦労に耐える覚悟がなければならない………し、包丁がなくなっても、鍋で殴ってくる料理人もいるだろう。包丁が悪いのではないのだ。

 

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 けっきょく、戦争をやめるには、自分が戦争に行かないことしかない。

 投獄されても、死刑になっても、人を殺すのを拒否すること。それに意味がある。

 他人を殺すぐらいなら自殺する、覚悟が必要だ。