65歳の日溜まり (*´・ω・)ノ。゜・☆。

貧乏な独り暮らしで、時々、無性に寂しくなりますが、ふと思ったことを書きます………来てくれて、ありがとう。

ラジオの広島平和式典を聴いている

 今朝は69年前に広島市原子爆弾が落とされた日だ。一瞬で、熱風と爆風により10万人が殺された。そのあとも、原爆症で5万人が病死した。

「戦争を終結するためにやった」とアメリカはいっている。「しかたがなかった」と。 

 しかし、原子爆弾の威力を確かめるためのデータが欲しかったから、原爆を使ったのだ、という疑惑は消えないだろう。

 戦争というのは、自分が犠牲にならないで、相手を如何に殺すか、ということ。

 大量に相手を殺せるなら、脅すのに使える。最強なのだ。

 

 人類は、国に分かれて、歴史的にも、いまも、戦争や紛争という殺し合いを繰り返している………

 資本主義経済活動の結果としてそうなるし、一部の国が豊かになろうとする結果、他の国の犠牲が必要だから、しかたないことなのだろう。

 

 もともと、他人や他の動物の死の犠牲によって、人は生きている。

 豊かな生活は、誰かの犠牲の上になったものだと思う。

 

 食う、寝る、住む、性交する、ために、人は他人の世話になっている。これを感謝すればいいが………大多数は、当然の権利だと思っていて、その権利を侵すものを叩き潰す────という結論になる。

 

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 ぼくはニヒリストなので、「死んだ人が一番幸せだ」と思う。

 この世から抜け出した死は、平等で、平和で、安らかだ。

 

 平和とか戦争反対とかを主張するには、自分の生き方を変えなければだめだろう。生活の不便を耐えたり、他人から、社会から、無視されたり、世話されなかってもいいという覚悟が必要だと思うのだ。

 豊かさを享受しながら、平和を望むのは偽善に近いと思うので。

 

 この世界が持っている矛盾に気づかないふりをしていれば、非難されることはないし、生きていくのに不都合なことは、この社会では起こらないから、知らないふりをしている方がいい、という人がいるかもしれない。

 

 平和を祈るのは尊いことだ………

 

 だけど、いまも現実に、パレスチナで人は殺されているし、他の国はそれを見ているだけという現状がある。止めることができない………無力だと思う。

 殺される人は、パレスチナ人に限らず………今までから………いつでもあった。どうすることもできなかった歴史が続く………

 

 

  ひとりで、祈りたい。

 無力だからこそ、自分はどう生きるのか、死ぬのかを考えたい。