65歳の日溜まり (*´・ω・)ノ。゜・☆。

貧乏な独り暮らしで、時々、無性に寂しくなりますが、ふと思ったことを書きます………来てくれて、ありがとう。

社会の規範意識以外に、幸せはある

 おはようございます。

 いつも、このブログに、「これを書こう」「あれ、書きたい」と思いつくのですが、代わり映えしない話題ですみません。

 世の中にたいして怒ることはたくさんあるし、どうしてこうなんだと絶望的になる気持ちもある。もちろん、共感して、「よかった、これからもこうであればいいな」ということも多い。

 でも、世の中のことです。

 自分の手のとどかない出来事です。

 社会とか国とか、政策で動いているから、いったん、こうと決めたら、方向転換するのは並大抵ではないと思うんです。

 

 ぼくは資本主義の社会に絶望していますが、自分の利益優先で社会を動かしている人たちが、既得権益を放棄して他人のために尽くそうというふうにはならない、と思うんです。

 

 いつもぼくの歴史の基本認識にあるのは、人類はずっと奴隷制度で生活を維持していた、という思いなんです。奴隷制度はギリシャ時代が有名ですが、それ以前からあった。ポリスができる以前から、部族間や民族の争いで敗けた者は奴隷となって他国に連れて行かれ、または売られ、異人に奉仕する存在だった。

 封建時代はもちろん、領主は自分の領土内に農奴を使っていたし、戦争の戦利品として、女や子供、戦士を奴隷としてもって帰った。

 それで文化の交流があり、文明が発展した。戦争の悲惨さと、うらはらです。

 国が出来る前の部族社会でもそうです、アフリカでも発見される前のアメリカでもインカ帝国でも、戦争の目的は、奴隷の確保だったともいえる。

 

 誰かを働かせて、生産物を自分のものにする。それが生き延びるのにいちばん効率がいいからです。家族とか一族間では困る。そこで奴隷制度をやると一族が維持できない。他の者が必要です。

 

 だから争いが起きる。生きるために自国を優先するのは、つきものだといっていい。

 

 資本主義でも、隠されてはいるけれど、労働者は賃金で縛られた奴隷です。ただ人権とか自由とか与えられた奴隷ですけれど。

 働かないと、雇われないと生きていけないので、自由があるといっても、名目だけのものになる。「資本主義社会には飢える自由しかない」とはマルクスがいったとおりです。

 

資本主義てっなんで批判されんの?」には、本音が語られていて、面白い。

 

 人類が生き延びようとすれば、そのうちの少数は極端な犠牲者に─────大半はゆるい犠牲者にしなければ、社会を維持できない、ということでしょう。

 階級というのはいつの時代でもあったし、人はそれを維持していくでしょう。

 

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 もう誰もがわかっている、つまらない常識みたいなものを、また、書いてしまった………

 

 ぼくがいいたいのは、社会は、「そういうものだし、そうでしかない」ものだ、ということです。

 

 人が幸せに生きられるかどうかは、そういう社会の規範以外のところにある、ということ。

 社会に囚われるのはやめたい、ということ。それは生きる手段であって、目的ではないと思うからです。