65歳の日溜まり (*´・ω・)ノ。゜・☆。

貧乏な独り暮らしで、時々、無性に寂しくなりますが、ふと思ったことを書きます………来てくれて、ありがとう。

ベーシックインカムが導入されたとしても

 おはようございます。

 すべての人に生存給付金を! のベーシックインカム、について考えています……

 この世界には、この世に貧乏人がいることを知らない人がいて、また、貧乏人がいることは知っていても、自分とは関係ない、自分はこの社会である程度の位置を占めているので安泰だから、他人の貧乏のことなんか考えたくない、という人もいるのではないかと思うんです。

 多くの人が貧困や犯罪について語ります。

 犯罪は直接、自分が被害者になるかもしれないので、真剣に対策を考えることが出来ます。

 交通事故、痴漢、ひったくり、空き巣被害、自転車泥棒、恐喝、暴行、因縁をつけられたら……など、困った他人と遭遇しないように、犯罪の被害に合わないように、考えることが出来ます。身近にあるものや、自分に降りかかってくるものについて、です。

 

 貧乏のことは……いま自分が安定した会社に努めていて、退職を強要されるような状況がない場合、生活がある程度できていれば、他人事でしょう。身近に感じない。

 

 とくに貧乏には、世間の競争社会に敗けた人がなる、という敗者のイメージがついているので、自分のこととして考えにくいでしょう。

 

 就職がうまくいかず、収入が低い人、低所得者、バイト生活者、非正規雇用の……社会の負け犬のイメージがついてまわります。じっさい、そうなので、いったん、貧乏生活に陥ると、負のスパイラルから抜け出すことが難しい。

 

 ところで、疑問なのですが───なぜ、日本の会社は、非正規やバイトで人を雇うのに、しっかりとした人かどうか見極める面接などという手続きを踏むんでしょう。一生、その人の面倒を見るわけでもないのに……真面目で、文句を言わず、会社の指示に反抗しないような、性格のいい人を見極めたいのでしょうか。欲しいのは、会社の都合で働いてくれる、長期を望まない、即戦力になる、誰でもできる、機械を使うより安上がりな労働力ではないのですか……

 

 この社会では45歳ぐらいまでは、ハローワークにいっても仕事はありますが、それ以上の高齢は嫌がられます。ほとんど仕事が見つからない。ガードマンとかタクシー運転手とか、不安定な雇用形態の仕事の求人はありますけれど。

 ぼくの場合は西成で日雇いをすることになってしまった。

 

 人生の敗残者になるのは、みんな、嫌ですよね。

 でも、20代の間に、人生の軸になる会社に雇用されないと───転々と仕事を変えると───敗残者に近づくことになります。会社や企業が、転職を繰り返してきた人を嫌がるからです。

 

 そう思うと、人生というのは、周りの環境や、偶然の結果や、僥倖で左右されているだろうと思えます。

 

 いずれにしても還暦を過ぎたら、どんな人生を歩んできても、みな、同じです。あとはいかに死ぬかだけが人生の仕事ですから。

 そして、その仕事には、名誉も社会的地位も金も、最終的には関係ないのです。ひとりで死んでいかなければならないんですから。いつも思うんです、死は平等だと。死んでしまったら、あとは、どんな葬式が行われようと体験できないのですから意味が無いんです。

 仏教では、死に向かうとき、死を考えるとき、すべてのことが「空」であることがわかる、と教えます。(ぼくの解釈なので間違っているかもしれませんが)

 

 人生で大事な貴重な時間は、30~50代の、他人と共同でなにかを為す、仕事や結婚や子育ての、ライフサイクルで一番重要で、充実した時期なのではないかと思います。 

 その時期に、就職先がないとか、貧乏であるとか、結婚する経済力がないとか、は、最悪です。個人責任で、しかたないですけれど。(そう、社会は考えているでしょう)

 

 たぶん、人生とか社会は、シビアで、泣き言を言ってもわかってくれない。

 すでに出来上がったシステムのやり方で動いているので───

 

 資本主義社会では貧困と失業はつきものです。そうしないと、誰も働きませんから。貧困への、失業への恐怖があるから、奴隷的な仕事も我慢してやるわけなのですから。

 

 45~58歳まで西成で仕事を探したり、派遣の日雇いでしたから、自分はまったくの人生の敗残者だと思って生きてきて、絶望的な気持でいつもいました……

 

 でも、この資本主義の欠陥である……あるいは、資本主義を支えている貧困と失業が限度を超えてくると、貧困化で商品は売れなくなり、犯罪が増え、失業者があふれることで健康な社会が維持できなくなる……

 それでベーシックインカムを導入しなくてはいけなくなる。

 いまはまだ論議している状態ですが、社会福祉制度がうまく機能していない状態では、いずれ導入しなければならなくなるでしょう。それも本来のベーシックインカムの目的を外したやり方で。

 高すぎる年金をベーシックインカム導入で切り下げる目的で。

 福祉のコストを抑える目的で。

 医療費を抑える目的で。

 いま、既得権益を得ている層からは反発があるでしょうが、国が経済的に破綻しないようにするならば、そうするしかないでしょう。

 もちろん、多くの庶民の福祉を切り捨てる目的で導入されるのですから───すべての人に適応されるのではなくて、部分的な適用になるでしょう。

 

 

 そういう目的で導入されたとしても、資本主義の本質が一部、否定されることは、次の経済、社会体制の萌芽になるでしょうし、また、貧困をなくすことに少しは貢献すると思えます。少なくとも、金がないことが原因で死ぬ人が、死ななくてすむようになる。

 

 

 この社会に対しては、いろいろ考えることがあります。

 いつも絶望的なことをいっているけれど、元気でやりたいです。

 

 社会は社会。自分は自分、です。

 違った生き方を。