65歳の日溜まり (*´・ω・)ノ。゜・☆。

貧乏な独り暮らしで、時々、無性に寂しくなりますが、ふと思ったことを書きます………来てくれて、ありがとう。

何かをするということ

 昨夜寝る時に、「もう暑いからこたつ布団を使っているのは、いいか……」と思って、仕舞うことにした。日中も暑いし……

 今朝、洗濯をする。こたつ布団も手で洗った(笑)。盥からはみ出すので、たいへんだった。まあ、そんなにも汚れていなかったんですが。いま、物干し場に干してある。夕方から天気が雨に向かうらしいので、それまで干しておくつもり。

 自分が、何かをする、というのは、いいことです。気持ちがいい。自分がしたいように出来る、という自由がある。そう感じとれる。

 

 いつも社会やマスコミは、何かの宣伝をやっていて───その狙いは「洗脳」です。

「こうすれば幸せになれる」「こうしないとダメだ」「これが正しい」……

 宣伝に乗せられてしまうと自分の判断ができなくなる。動かされてしまう。誰かの言うように動かされるのが、快感になってしまう。

 

 女の人は化粧品をよく買うけれど───買う、という行動が、美しいにつながる、と思わされていると思う。これを使えば美しくなれますよ、ということは───今のままではお前は醜いのだ、といっていることです。脅しなんですね。(女の人は、そのままで美しい)

 男の、車、オートバイ、なども幻想を買っているのだから、同じだけれど。

 家庭を持つと車は必要なのか。

 いまは車を持たない家族も増えてきた。都会では余計なもの、になっている。かかる経費に比べて、そんなに楽しみを与えてくれないのだ。

 休日にどこかへ出かければ渋滞だし……駐車場代は高いし。

 車に住むなら、お金をかけてもいいけれど。キャンピングカーは、日本では不要だ。アメリカなら、オーストラリアなら、そんな生活もあり、だけれど。

 日本は画一化社会で、個人の生活の多様性がない。それで国を上げてがんばることができるんだけれど。

 

 いまの世界と違う生き方や、在り方を、したいと、ずっと思っていた。

 もう、歳をとったから、生き方をしたいよりも、死に方を考えなくちゃならない。

 自由はいつも目の前にあって、それに手がとどくんだけれど、実行しないままに過ぎてしまう。やってみれば、違ったのに。