65歳の日溜まり (*´・ω・)ノ。゜・☆。

貧乏な独り暮らしで、時々、無性に寂しくなりますが、ふと思ったことを書きます………来てくれて、ありがとう。

生きることは苦

 生老病死が苦しみである、とお釈迦さんは言われたのだが……

 生きることは「苦しみ」なのだ、という指摘は胸に響く。応える───

 生きるという具体的なこと───飯を食わなきゃ死ぬし、トイレがなければ苦しいし、不便だし、性欲はどうしていいかわからないし、他人といい関係を築くのは苦労だし……あれこれ、テクニックを学ばなければならない(技術だとわからない若年期に……)

 

 社会のなかで生きるのは苦しいと、お釈迦さんも思ったでしょう。人は世の中でけがれる───それが、当時の、バラモン教の認識だったし、世俗の上に立つからこそバラモンの権威があった。けがれから逃れる方法を説くのが、バラモンの権威を維持することだったのです。

 それはいまでもヒンズー教カースト制として、インドの根幹をなしています。

 

 いまの人間中心のヒューマニズムの価値観でいえば、差別的だし、不合理なんですが、当時の歴史的な人間の生産性とかが、そのレベルであったのだから、そういう認識は正しいといえます。日本の神道も「けがれ」をどう浄化するか、が問題点だった。それでずっと続いてきたのですから。

 

 けがれは、いつも苦しみを持ってくるもの───外からの……

 で、あったはずです。

 

 それで初期の仏教は、出家主義をとった。

 社会、世間から離れて、ひとりでいなさい。森のなかで、自然のなかにいなさい。

 

 それはいまでも有効です。

 ほんとうにそうしないと、苦しいことに巻き込まれてしまう。社会というのは、外から、「こうしろ、ああしろ」という存在なのですから。

 そして、それは、いわれる本人のためではありません。社会のために、利益になるためです。ようするに、社会に奉仕しろ! といっているわけです。社会の奴隷になれ! 奴隷でいろ! 

 そのいいかたは、ワタミとかのブラック企業の言い分とよく似ています。お前の価値は奉仕して働くことにしかない。

 

 ひとは自分でありたい。

 できそこないかもしれないけれど───外から無理に完成品にされるのはいやです。

 自分は……じぶんであるだけで愛されたい。そのままでいい、といってほしい。

 

 お釈迦さんは、「ああだこうだいう、雑音から離れて……じぶんでいいんだよ」と、いわれたのだと思うんですね。