65歳の日溜まり (*´・ω・)ノ。゜・☆。

貧乏な独り暮らしで、時々、無性に寂しくなりますが、ふと思ったことを書きます………来てくれて、ありがとう。

使い捨てられること

【配偶者控除の見直し】

パート女性の世帯は増税に…。本当に女子の社会進出を図れるの?

とタイトルの付いたサイト――で書かれていること。

 まったく、その通りです。

「働け! 働け!」の新自由主義経済の社会。

 男も女も働いて――(社会のために)

 けっして女性の人権の解放のための政策ではないでしょう。名目はそうなっていますが――

 働くことで女性の社会的立場が向上する?

 いま、日本では、女性の人権はないがしろにされているのですか? 労働時間を確保することで女性は男と対等の人間になるわけでしょうか?

 むしろ働くことで男も女も阻害されている、と思います。

 

 女性が社会に進出してない=女性差別、ということ前提なのですが、「社会に進出してない」から、不具合があったり、不都合、である現状なのですか?

  女性が家庭を守って───夫が働く(サポートをしている)ことが――補助的役割とみなされ、女性差別となるのか。

  はっきりいって、日本では、女性が差別されている、ということはない、と思うんですが――

 たしかに労働賃金の差別はありますけれど――

 賃金の格差をなくするには、女の人が一生働くことにならねばならないでしょう。男と同じように働くことが前提でしょう。男も女も同じように働かないといけなくなります。そうすると、企業が――女性に特別な、体力面での保護や、子育てでの(男は職場で、子供のための用事で、仕事を二の次にすることはできない現状がある)優遇を保証するか、は疑問です。労働者として使うなら、酷使してもいい条件で雇うほうが、利益を上げられるんですから。

 たぶん、経済界は、男も女も家庭から引き出して、使い捨てする、安価な労働力としか見ていないのではないでしょうか。

 家庭が維持できなくなっても───崩壊しても、経済界が責任を取るわけじゃないですから。

 

 

 はっきりいって、働くことで人権が保証されることはない。それは左翼労働運動が持ってきた妄想です。組織のために(自由主義でも共産主義でも)身を粉にして働いて、なにかを得ることができるんでしょうか。組織が得をするだけです。そうして利益を得るのは組織です。個人は働く満足感(組織に奉仕した)だけを得ます。それは妄想でしょう。新興宗教を信仰するのと同じようなものでしょう。

 この世界では――むしろ、働いて使い捨てられることで、人権がないがしろにされるのではないかと思えます。

 男も女も日中、一日働いて、夕方、家に帰ったら、夕飯を作らなければならない。そこで、保育所学童保育に預けている子を迎えに行かなくてはならないし、ご飯の支度をしなければならない。女性だけでは無理なので、夫の会社へも電話をかけて、帰りにスーパーに寄って買って来てもらう食材など、相談することになる。

 自分が働いている間、自分の子供を他人に保育してもらって、世話してもらって───それが左翼活動家、フェミニストのいう「社会で、子供を育てる」ことなのですが……それは幸せなことなのか。

 毎日、それを繰り返す。

 それが楽しいことならいいのですが……

 

 男も女も、一日、8時間も働いたら、ゆっくり生活できる余裕がなくなるでしょう。

 まあ、それでも、都会で贅沢と思われる生活が、共働きでできるわけだから、いいですが。

 とにかく、男も女も忙しい。

 忙しいことが、意味があって、楽しいことなら、いいのですけれど。子供だって、夜、塾に通ったりする生活になって、それが、充実した暮らしというものかもしれないのですが。

 家庭は、労働によって解体されて、個人に───ばらばらな存在になります。

 個人主義で家庭が運営できるなら、いいのです。

 誰もが違った目的を持ち、そのために活動し───家は、集合する場所でしかなくなる。家庭が持っていた機能は……投げ捨てられる。価値がないものになる。

 家庭とか家族が持っていたものは───前近代的な拠り所としての暖かさです。それは、忙しさに紛れて、注目されなくなる。忙しく、時間がなく、明日、働くことが待っているんだから、家庭の問題なんかでわずらわしい思いをしたくなくなる───そういう気持ちになるのでないか……労働がまず、第一にあるのですから。

 とくに、女性はずっと働く体制でいないと、企業のなかで重要なポストを得ることはできません。子育てを優先して、働くことを二の次にする人に、企業は重要な役職を与えるでしょうか?

 

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 ぼくは労働時間は一日3時間になる、ことを望んでいます。

 半日働いて、生活できる、そんな暮らしを……

 それなら、男も、女も、働いて、気持ちに余裕を持って暮らしていけるでしょう。

 人が一日、3時間働く生産性で成り立つ暮らしの在り方を望んでいます。

 まあ、資本主義でそれができないなら……

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 べつに社会が、それをやる必要はないので───

 個人で、それをやればいい。

 社会がそうしなければ───個人が生きていけない、ということはない。

 個人でやればいい。

 自分の好きなように生きたらいい。

 労働がきつかったら、しないことです。しなくてもいい暮らし方を求めること。

 男と女と子どもと、が、穏やかに、楽しく暮らせる、スタイルを、目指せばいい。

 

 多くの人は───社会に潰されて、「個人の生活」が出来る前に絶望してしまう。それが現実です。それに男も女も子供も、社会のなかで生きていくのがいちばん楽だとわかっているから。

 文句を言いながら、不本意ながら、便利な生活の方がいい。世間に逆らってまで、自分の暮らしのスタイルを押し通すことは苦しいのです。

 けっきょくは───社会の流れの雰囲気のなかでやっていくしかないのかもしれないのですが……