65歳の日溜まり (*´・ω・)ノ。゜・☆。

貧乏な独り暮らしで、時々、無性に寂しくなりますが、ふと思ったことを書きます………来てくれて、ありがとう。

欲望の火を消せ、と。

 雨の日です。

 ぼくがとっているメルマガで───「仏教格言一日一言」というのがあります。

 その、今朝の言葉。

「幸せは自分で作る。不幸せも自分で作る。幸せも、不幸せも、まったく他の仕業ではない。───『ジャータカ』」

 この言葉は、メルマガを購読していると、何度も繰返し配信されるのですが……スッタニパータの言葉群と共に、心に残るのです。

 仏教は、唯心論です。心が先。

 心の持ち方で世界を変えられる。見方が変われば、世界の意味は新しくなる。

 宗教はすべてそうかも知れません。

 それで、現実は変わらなくても、自分は生きやすくなる、苦しむことはなくなる。

 現実の苦しみはなくならないが───それとは違った視点、世界を見つけることが出来る。

 

 現実の変化で――変革や革命で、どれだけの人が救われるか……

 システムや組織の機能を変えることで救われる部分もある。経済的貧困とか、医療とか教育とか……救われるべきだ。それはなされるべきだ。

 でも、最後の救いは心の在り方からくる。

 

 たぶん、欲望を否定したところから。

 

 欲望に振り回されたくない。静かに暮らしたい。「欲望の火を消せ」とお釈迦さんは言った……それは現代でも可能でしょう。世間が騒がしくても。

 まあ、あまり「悟った、自己満足に陥る陥穽」というのもあるので───自省も必要です。これは正しい、これは間違い、というものではないと思います。

 

 じっさいに、貧困はどうにかしないと、世界は混乱するばかりです。資本主義という経済システムは一部の富裕層を作り出すために、多くを犠牲にするので。誰かが儲けるためには、誰かが損をしなければならない。――それが人間の欲望の在り方とぴったり重なるので始末におえないわけですけれど。

 多くの人が悲しみ、破滅に追い込まれている、と思う。犠牲者がいて、世界が維持されている……そう思います。