65歳の日溜まり (*´・ω・)ノ。゜・☆。

貧乏な独り暮らしで、時々、無性に寂しくなりますが、ふと思ったことを書きます………来てくれて、ありがとう。

改革 仮説

 ぼくはずっと底辺で生きてきたので、この社会に不満はあるけれど解決の方法は自分の手の届かないところにある。誰か英雄になるような政治家が出てきて正義が行われるように社会を改革してくれたらいい……

 

 と期待するけれど、その考えは危険だともいえる。

 ヒトラーも改革者として登場した。じっさい、ナチスは軍備を増強し、公共事業を起こすことで失業問題を解決し、国が沈没しかけていた大不況を克服した。ドイツ国民は自信を取り戻した。経済的な政策として間違ってはいない。貧困をなくしたのだから。

 

 結果的には第二次大戦を引き起こし、戦禍を拡大し苦しみを生み出した。結果としてわかることです。

 

 当時は、改革者としてあったのです。

 

 ヨーロッパの西欧文化にとってナチス的思想は、反省の根源です。今でも。

 でもそれは、西欧が持っていた矛盾の帰結といえる。

 

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 仏教的世界観からいえば、すべては「空」です。

 すべては、「一つ」です。

 すべては「無」ともいえる。

 

 観念的なことをいって、なんになるねん、というツッコミも来そうですが、この社会で苦しみがあるのはそれが苦しみでしかないから、そうなるように人がしているからなんだろう、と思うんですね。

 人がやっていることなら、変えられるだろう。

 また、変えてもいいだろう。

 

 なにもこの社会を絶対的なものと考える必要はないわけですから、柔軟に考えて変えていく発想がいる。

 

 経済学者は経済をこの社会を動かしている絶対的なものと考えるけれど、じっさい、そうともいえるけれど、チューリップの球根一つで家を買えた時代もあったように、貨幣経済は幻の信用性に基いているのですから、この経済の矛盾を乗り越える新しい仮説を立たてくれないか。

 学者ならできると思うんです。

 

 いままで経済学とかの本を読んできたけれど、あまりにも政策の解説でしかない、それを絶対化しているとしか思えない理論ばかりに思うのです。お前に何がわかるねん、といわれると、口をつむぐしかないですが。

 

 学問を疑うのは、学者の良心だと思うんです。