65歳の日溜まり (*´・ω・)ノ。゜・☆。

貧乏な独り暮らしで、時々、無性に寂しくなりますが、ふと思ったことを書きます………来てくれて、ありがとう。

夢を見たので

 朝です。夢を見ていて───古い友達と集まっていて、酒を飲んでいて……う~ん、少し、酒が足らないな、どこかで買ってくる、そのために店を探す、みたいな夢で目が覚めたんです。

 

 ぼくの生活。いろんな足らないものがある。

 テレビは30年ほど見ていない、持っていないので。それで世間のことがわからないけれど、困ったことはない。お笑いやどうでもいい芸能人のニュース。スポーツも嫌いなので、関心がない。

 

 会社は、人と親しくなるほど勤めたことはないし(最長6年)、親友になるほどの人間関係を作れなかった自分の性格に問題があるのだろうと思っています。

 

 いま、世間と交流を断って、社会的には死んで、4年。

 これでいいと思っています。

 

「こんなブログを書いて、お前、寂しいとか言って、他人、求めてるやん」という批判、ツッコミには、ごめんなさい、といいます。

 

 人は、そんなに、仙人みたいに生きられないものなのです。

 

………………     …………  ………………     …………

 

 ぼくのような人間でも生きていけるのは、いい時代だと思えます。

 

 昨日の続きの話だけれど───孤立死が必ずしも悪いことと思えないんですね。

 人はひとりの生活をしなければならない状況だとひとりで死ぬものだし、けっきょく、生きている人間が、そんなことをどう考えるか、捉えるか、面倒を見るか、の話だと思う。

 死人には関係ない。こうして死んだ、という事実はあるけれど。

 

 人が自覚もなく子供を作るように、他人の死を人が引き受けなければならない、というのは社会を作っている人間のやらなければならないことでしょう。

 

 どう死ぬかというのは、個人の問題でしょう。

 どう、死なせるかは、社会の問題でしょう。

 

………………     …………  ………………     …………

 

 こんなにも他人の死に対して優しいのに、人はいつも暴力を振るったりする。無意識でも、相手をやり込めるためでも、支配するためでも、殺すためでも。

 

 ぼくも、我を忘れたら暴力をふるう人間なので、他人を非難することは出来ませんが。

 

 ブッダのように生きられたらいいと思います。33歳から80歳まで、ほとんどインド北部を彷徨った旅を続けたお釈迦様のように。

 

 無理でしょうけれど。

 こんなに発達した社会では。

 社会が、放っといてくれません。

 生まれた時から、労働力とカウントされ、税金を払う者にされ、浮動票や組織票に区分けされ、常に社会からの効率性に基づいた部品、機械にされてしまう、社会体制の中の細かい塵でしかないような存在であれば。

 常に規定され続ける。

 

………………     …………  ………………     …………

 

 だからぼくは、少子化も孤立死も、問題があるとみていません。そのままでいいと思うんです。社会がそう作ってきたのだし、そうなってきた。いま、生きている者に不具合ではないかという論議をするほうが、面倒を避けようとする無責任から出ているのでないかと思えるのです。事を複雑にするだけです。

 

 経済一辺倒でないほうがいいし、生き方も様々あったほうがいい、自由でいい。好きに生きていい。