65歳の日溜まり (*´・ω・)ノ。゜・☆。

貧乏な独り暮らしで、時々、無性に寂しくなりますが、ふと思ったことを書きます………来てくれて、ありがとう。

虐めの、考察 2

 日曜日です。

 昨日あんな日記を書いたからか、今朝方、悪夢にうなされ、寝言で叫び声をあげて目が覚めた。嫌な夢だった。老婆と喧嘩している夢……すごく自分勝手な言い分で、自分たちの家に入り込んでいて、姉のベットを取り上げてる……姉が泣いている……脈絡がわからないのだが、自分たちが追い出されそうになっている……それで。

 

 嫌だな。母親の悪口を書いたからか。

 

 他人を虐めることも、喧嘩することも嫌だ。

 

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 集団に、虐めはつきものです。

 家族でも、学校でも、会社でも、社会という世間でも。

 愛さない。冷たくする、無視する。相手にちょっかいを出して困らせ、貶め、笑い者にして、苦しめる。苦しめる方法はたくさんあり、アイデアを思いつくことが楽しい。人間というのは、他人を苦しめたり支配したりするのが楽しいようにできている、たぶん、自分が強者の立場になれるからでしょう。

 

 人は自然界では猛獣に食べられるほうの弱者なのですが、火や、道具を使うことで、文明という枠組みを生み出すことで、自然や猛獣に対抗できるようになった。

 それともうひとつは、集団で生活することで、生き延びることができた。

 

 人は、群れで生きるし、集団の中にいなければ生きていけない。

 これは類人猿の時代から人の遺伝子に組み込まれています。

 

 助けあって生きるという集団の性質があるからこそ、守るべき掟がある。

「群れ」を唯一の価値とするために、排除されるべきものが作り出される。

 

 サル山の猿の群れのように、ボスがいて、立場の強いものがいて、弱い者がいて、支配、非支配の序列がある。集団を維持するのに、そうするのが効率的、合理的なのです。たぶん。

 この序列からはみ出さなければ、安全なのですが……

 

 

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 おうおうにして、誰かを虐めることで、集団の規律を高め、忠誠を誓わせ、生き生きとした勢いのある価値あるものに高めることができる。だからこそ、虐めはあるといえます。

 

 誰でもいいんです。虐める相手は。

 ただ、その者が、孤立して、苦しんで、犠牲になれば───、苦しんで死ぬという劇的な結果になれば、群れに属していることに安心できる。犠牲者に対して、哀悼し、涙を流すこともできる。

 善も悪もある、のが人間でしょう。

 

 虐めは無くならないでしょう。

 

 

 集団にある、画一性が、虐めが起こる基盤であるといえると思う。集団を「絶対化」してしまう融通のなさとか、美化とか、頑なさとか。

 

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 ひとは、自分が虐めの対象になることが怖いので、虐める側の、強者のほうを擁護する。あるいは虐められていることを無視して、気づかないふりをする。

 

 学校の先生は、気づかないふりをすることが多い。自分の責任を逃れるために。気づかなければ、不注意かもしれないが、責任を問われることはない。虐めがある、あったということを知らないわけだから。

 いつも、学校での虐めの事件のニュースを聞くたびにもどかしく思う。

 辛いことです。

 学校での生活は、子供の世界の大半を占めています。だから、追い詰められるのだろう。大人は、逃げる場所を作ってあげなくてはいけない。子供の気持ちを理解し、保護するのは、大人の責任です。

 

 

 会社では、巧妙に虐めて退職に追い込む、社会では、差別はいけないという建前のもとで、住み分けが行われる。(それはある意味、いいことです)

 

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 家族──会社──世間。

 この順番で、虐めのレベルは薄くなるというか、公開生が高まって、閉塞状況から開放される。

 

 だから、逃げ出すのだ。虐めが行われる所から。

 安心できない家庭から、会社から、社会から。

 

 家出する。自分で生きていくことを考える。自立するために。

 

 集団の価値観に縛られるのをやめる。

 それを対象化する。

 批判する視点を持つ。

 

 

 だけど、この社会で生き延びるためには、生活のために、稼ぐことが必要です。多くの人は誰かに雇われて賃金を得る。

 ブラック企業なんかで働かないのがいちばんいいのですが──

 とにかく、会社第一主義から自由になる発想を持つこと。

 収入を得るために働いているのであって、それ以上の期待は、会社に持たないこと。充実した人生のために生きているのであって、働くために生きているのでないのですから。会社に何も望まないこと。

 

 どんなふうにでも、なんとでも生きていく方法はある、と考えることが、必要です。

 社会の片隅で、なるべく世間に巻き込まれないように、無名で、ひっそりと生きてもいいじゃないですか。みんなが同じレベルで生きなければならないということはない。

 

 誰かが、世間が、強い者がいう、社会の論理に打ち負かされないことが、必要です。

 自分を利用しようとしてくる力に対して、自分は自分だ、とはっきりいうこと。

 

 自分の人生がどうなろうとも、自分が責任を取る覚悟があれば、心は自由に、生きられる。

 

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 具体的でない観念的なことしかいえないけれど───

 

 

 虐めがあれば、その群れの枠から逃れよう。他人と群れることをやめよう。

 

 独りで生きることは寂しいことですが、自分だけでない。自分と同じような人が、必ず、どこかにいるはずです。

 

 まかり間違っても、独りで生きるだけですから。