65歳の日溜まり (*´・ω・)ノ。゜・☆。

貧乏な独り暮らしで、時々、無性に寂しくなりますが、ふと思ったことを書きます………来てくれて、ありがとう。

すこし酔って 仏の教え

 雨が降っています───少し、飲み過ぎました。

 酔いが回ってきて、うまく考えられなくなっている。

 いいんだけど。

 

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 書こうと思っていたのは、自分がなぜ仏教を真理と思うようになったか、だけれど、若い頃から仏教の本を読んだりしていて、わかったつもりになっていたけれど、何もわかっていなかったんだと気づいたのは、歳とってから。

 

 頭で考えているようなことは、何の意味もない。

 

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 現実(そう受け取っている現実)は、自分の世界のもので、他人には他人の見る世界がある。

 そして、人は、お互いに依存、影響しあって暮らしていて、すごいインパクトで人生が変わっていくというか、変えられるんだけれど、根本のところは変わらないでそのままなんだ。表面が変わるだけ。現象が変わるだけ、といってもいい。

 

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 そのことの何の説明にもなっていないけれど、原理をいおう。

 

 仏教では、自分という我は、無我なんだけれど───人は自分というものがある、と思っていて、そうでなければ生きていくのに不安なので、「自分! 自分!」と執着するだけなんだ。

 価値がある自分でなければ怖い。

 他人に見捨てられるのが怖い。

 愛情を得られない自分であるのが怖い。

 人の、社会の役に立って、強くて、支持されないと、怖い。

 

 他人にとって価値がある存在でないと、見捨てられ、誰にも愛してもらえないから、怖いのだ。

 

 

 ぼくのことを振り返っても、そう思う。そうだったし。

 

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 無常で無我であることを知ること。

 それを知ることが、平和で、心が乱されることなく、満たされて過ごすコツだって、仏教は教える。

 

 全部変わっていって、憎しみはなくなる。すべてはなくなる。苦しみも、悲しみも、もともとなかった……そう思っていただけだった、と。こだわっていただけだったと。

 

 

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 最近、政治のニュースで、嫌な気持ちになることが多いので……自戒のために……