65歳の日溜まり (*´・ω・)ノ。゜・☆。

貧乏な独り暮らしで、時々、無性に寂しくなりますが、ふと思ったことを書きます………来てくれて、ありがとう。

信じるもの

佐村河内を絶賛していた人たち

 確かに恥ずかしいだろう。恥ずかしく思ってくれなくては困る。

 

 この社会はデマゴーグの社会だ。偽りの宣伝。

 ステルス・マーケティングを商売でする人たち。も、いる。この社会では、人を欺いても許されてしまうところがある。

 

 政治家の公約。嘘ばかりだが、非難されない。

 

 政治家は信用出来ない。利権に群がる政治屋になってしまっているからだ。金や政治の利権に。イデオロギーに忠実なのか、どこの国の議員だと思える売国的主張をする者も、いる。ある意味、自由に発言できる国であることの証明になっているのかもしれない。

 

 消費税が上がる。社会保障のために使うという。

 政治家を操る官僚たちの思惑通りになった。

 かれらにとって、税金とは「生かさず殺さず」、(賃金奴隷である)庶民から絞り取って、自分たちの思うように使える金ということなんだと思う。

 

 世界を見てみると、もっとひどい国がいくらでもある。横領や賄賂。政治家が私腹を肥やす国。自国民を迫害し、殺し、弾圧する国。

 そういうのに比べると、日本はましだといえる。

 

 強いものは何をしても許される、のが人間社会のルールだ。

 理不尽がまかり通る。

 だが、それはいいことなのだ、と思う。

 

 すべてこの世でなされることは、なされた結果を導くだけ。改善されるのか、悪化するのか、改革なのか……それらの思惑を越えて、結果となる。最悪の結果でも、そこから歩み出すだけだ、それしか道はない。生きることを前提とすれば、結果を受け入れて最適の解決方法を探すだけになる。

 

 人は、常に問題を問題と捉え、解決を志向する存在だ。それは人間に備わった本質だと思える。

 

 3年前、福島第一原発が爆発した。それまで盲信していた「安全」ではなかったことが露呈した。コントロール不能になり汚染されたが、誰も責任をとらない。人智を超えた想定外のことだから責任の取りようがない。新しい組織に変わり、古い人達は逃げのびた。現在やっていることが、いい結果を出してくれればいいのだが……そう願っている。

 

 素人が口を出せない社会構造の上の部分で行われていることは、受け入れるしかないのだろう。解決の方法が素人にはないのだから──自分で体を張って、どうかすることが、できないのだから。

 

 あまりに専門的なことを盲目的に信じるのは危険なことかもしれない。

 

 とにかく、深く考えていくと、信じられるのか、信じられないのか、わからない不透明な現実の中で、のうのうと、陽気に生きていくのが、いちばんのやり方でないのか。人生というものの。

 

 自分に関わらないことは信じないこと。

 等身大の自分の目線で、自分で判断できないものは、置いておくこと。

 自分で責任をとれるのは、自分がやったことだけだ。責任をとれることだけをやれればいいのだが……

 

 悪い環境からは逃げ出さねばならない。騙してくるものは、拒否する強さが必要だ。

 真実らしく見せかけた宣伝や、相手の利益にしかならない勧誘や、いい人になりたい妄想につけこんでくる誘惑や……に。

 

 この世には、信じるものは自分しかないが──

 自分でさえ「無我」だろう。

 

 もちろん、仏教がすべてでなく──社会の在り方から問題を考えていくことがすべてでもない。

 自分の拠り所にするものが、何か──とは、自分の問題なのだろう。

 

…… ……  …… ……

 読み返してみると──どうも、ぼくの書き方は、偉そうです。上から目線なのか……それがいちばん嫌いなんですが。なんか、とにかく、まとめよう、結論を出したいって気持ちが強すぎる。他の人には、偉そうに見えるのかなあ。言い切ったりするのは、文章の癖なのかもしれない。それとも、性格に問題があるのか……反省して、また、挑戦します。